昭和特撮「マグマ大使」〜1966 ピー・プロダクション 日本初の特撮カラー番組

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懐かしの昭和特撮シリーズ。今回は、1966年(昭和41)年7月に「ウルトラマン」より2週早く放送開始され、“日本初の特撮カラー番組”となったピー・プロダクション制作の「マグマ大使」をご紹介します。

 

この作品も私の生まれる前の番組ですが、昭和50年代は夕方、たまに再放送していました。マットな質感の「ウルトラマン」と比べ、この「マグマ大使」はなんとも言えない光沢のある画質で、古い作品なのに妙に画がキレイだったのが記憶にあります。

 

「マグマ大使」
1966年(昭和41)年7月4日〜1967年(昭和42)年9月25日
フジテレビ
毎週月曜
19:30-19:30(39話まで)
19:00-19:30(40話から)
全64回(52話 + 再放送12話)

 


 

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●日本初のカラー特撮番組

 

フジテレビは前番組、手塚治虫原作のアニメ「W3」が裏番組の「ウルトラQ」(TBS)に視聴率を奪われ、対抗策として特撮番組を発案。東急エージェンシーに企画を依頼し、ピー・プロダクションが制作を担当しました。

スポンサーはロッテで、そのためマグマ大使の息子は「ガム」という名前です。

 


 

●キャスト

 

見るからに悪そうなゴア(瀬川瑛子似)の声だけでなく自ら志願して着ぐるみを担当した大平透さん

村上マモルのパパは”ファンファン”岡田真澄さん

笛を吹いてマグマ大使を呼ぶ、マモル役の江木俊夫さん(後の フォーリーブス メンバー)が有名です。

 


 

●主題歌は山本直純さん作曲

 

私はずっと「アースが生んだ 正義マグマ~」だと思い込んでましたが、正しくは「正義マグマ~」なんですね。。。40年以上間違って覚えていましたよ。。。それにしても、毎回オープニングで爆破されるゴアの円盤よ。。。

 


 

●原作は手塚治虫

 

原作は手塚治虫先生。「少年画報」連載(1965年5月号〜1967年8月号)でした。

手塚先生は過去、「鉄腕アトム」実写版(1959)の際のクオリティの低さがトラウマで、「もう自分の作品は実写化しない」と宣言されていました。そのため、この企画がOKになった際は業界で話題だったとか。

 

後年、手塚先生は「当時の予算と技術力としては最高水準の出来栄えであり、本当に素晴らしい作品だった」と語っています。

 


 

●ピープロダクション うしおそうじ氏

 

制作会社ピープロダクションの代表、うしおそうじ(鷺巣富雄)氏は、手塚先生とは「少年画報」で漫画家として旧知の間柄。それでも手塚先生への説得はなかなか大変だったらしく、箱根で忘年会をしていた手塚先生のところへ押しかけ、「必ず良い作品にします」と直談判。そのうしお氏の熱意により、なんとかOKがもらえたのだそうです。

 

手塚先生の期待に応えるべく、さまざまな創意工夫を凝らし制作がスタートされました。

ちなみに庵野作品のミュージック コンポーザーで知られる鷺巣詩郎さんは、うしおそうじさんの息子さんです。

 


 

●笛を吹いたらやって来る

 

マモル少年が、笛を

1回吹くと息子のガム
2回吹くと妻のモル
3回吹くとマグマ大使

がやって来ます。肝心なときに間違えそうです。

▲マグマ一家とアースさま

 


 

●複数話完結の理由

 

当時、1話完結の番組が多い中、「マグマ大使」は4話(後半は2話)完結。これは敵役の怪獣や特撮にかける予算が少ないための窮余の一作でした。そのためテンポが遅く冗長になる弊害がありましたが、「ウルトラマン」とは違いマグマ親子と村上親子をメインに、ゲストと絡めたヒューマン ストーリーが主体に。強い絆で結ばれた「家族・親子愛」 は差別化要因ともなりました。

 


 

●何気にすごい特撮

 

マグマ大使はプロトタイプは素顔で、後に金箔メイク、放送開始時にはマスク着用となりました。

原作とは異なり、巨大ヒーロー マグマ大使と怪獣の戦闘シーンが見どころです。数は少ないもののユニークな怪獣が登場してブルマァク製のソフビも売れ、「ウルトラマン」と共に第一次怪獣ブームを牽引しました。

 

特撮ミニチュアの製作は、円谷英二氏の下で活躍した入江義夫氏(入江氏は「ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」などのミニチュアも手がけたお方)が中心となり、首都高速、新幹線、東大寺大仏殿、国会議事堂、新宿駅などの精巧さは語り草です。東大寺を破壊した際はクレームが来たとか。ゴアの円盤はNYの自由の女神、エンパイヤ ステート ビルまでブチ壊しました。

 

ゴアの円盤、ミサイルやレーザー発射シーンなどにアニメーション合成が活用されるのも、ピー・プロダクションの特長です。黎明期にこんな凝ったことをしているなんて、驚愕しますね。

 

 


 

●円谷英二氏とのイイ話

 

番組的にはライバルである「ウルトラマン」の円谷プロを率いる“特撮の神様“円谷英二氏は、うしおそうじ氏からしても師匠。牛尾氏は放映開始に先立ち、きちんと円谷氏に挨拶をしたそうです。その後、円谷さんは「鷺巣くんところのマグマ大使は大丈夫かな」とマグマ大使の心配ばかり。時折現場も視察に行き、息子の円谷粲さんらは「親父、少しはウルトラマンの心配してくれ」と頼んだとか。

 


 

「マグマ大使」は「ウルトラマン」と違い単発で終わってしまい、若い世代は知らない方も多いヒーローです。

 

今回、この項を書くにあたり調べたら、NHK朝の連続ドラマ小説「半分、青い」で主人公がマグマ大使風に笛を吹くシーンがあり、「1971年生まれなのにマグマ大使?」と話題になっていたのですね。

 

私は1970年生まれですが、知ってますけどなにか。

コメント

  1. 大石良雄(本名) より:

    拝啓 サイトヘッド様には、この「マグマ大使」に関して書かせて頂ける事に深く感謝いたします。同時期オンエア開始された「初代ウルトラマン」の陰に隠れ、しかし根強い本物のファンに支えられ永久の生命を持つマグマ大使とは素晴らしい作品でした。まず尊敬する「手塚治虫先生の、実写の鉄腕アトムのあまりの不出来さ」に関して、、、これは円谷P出現の遥か以前の「ドキュメント専門の松崎プロ&三笠映画(1部のみ)の製作」であり、正直特撮もどき?にはどうしようも無い点がありますが、この実写アトムはストーリーの面白さとそのグロテスクさと、アトムの女の子の様な感覚?とで非常に人気が在ったのですが、手塚治虫先生の逆鱗に触れてしまったのは本当に残念でしたしかし、実は一部にあの「円谷英二が加担していた?」との情報もあります。この「マグマ大使」は、確かに同時期のウルトラQ&マンなどに比べれば、とにかく予算も少なく特撮技術も周辺ハードウェア=オプティカルプリンター等も無かった様で、正直見劣りしていたのは確かです。しかし、しかし何か「温かい、、、」手作りの温盛が感じられるのです。例えば?「光線や炎吐き出すシーン等は、OPが在れば割と簡単に合成できるがこれをあえてアニメ合成したり、マッド画使用して予算を抑えたり、、非常に苦心に苦心重ねて手作りの良さを感じました。例えば?「国際緊急出動隊=INSのミサイル部隊」等は、普通乗用車(此処は普通ジープだろうと)&ミニチュアの連射式ロケット砲車が3台のみ、これをフレームイン&アウトを繰り返し補ったり、、、室内ロケも言われれば簡素でした。しかしながらストーリーの面白さと「意外と心霊オカルト的な話=海坊主」とか勉強になりましたよ。更に少年スターの「二宮秀樹さん」は憧れで、彼は実はその後1970年代後半にNHKの銀河ドラマに出演されたり江戸を斬る等にも出ていましたね。大ファンでしたよ。更に素晴らしかったのが「音楽=テーマ&BGM」で、大巨匠「山本直純先生の素晴らしい音楽」が忘れられない。後年リサーチで「実は、高弟子の坂田晃一氏と玉城宏樹さんのお二人が影武者として担当していたらしい」事を知りましたが、結局は山本直純先生の最終的な筆が入っていた事は確かです。サイトヘッド様の言われる「歌詞の=正義はマグマ」が正解で、「の」と「は」では全く異なると詩の深さを感じました。更に「3コーラス目の歌詞が実は少なくても3つの異なるバージョンが存在」します。それは「世界の子供とママの為、世界の子供ママの為、世界の子供を守る為」とレコード会社によって微妙に異なっています。更にBGMで驚くのは「マグマのテーマとガムのテーマが、クラシックの手法=フーガの技法を用いて有機的に重なって出てくるBGM」があり、さすがに世界的なクラシック音楽作家の直純先生ならではの素晴らしいテクニックだと心底感心いたしました。こういった高度な技は「クラシックの勉強をきちんと収め習熟しないと絶対に出来ない」のですから。また「戦いのBGMでは、ホルンの多用と変拍子を組み合わせた極めて特殊難解な和声を用いた難曲」もあり、こうした曲は他では終ぞ聴けなかった、、、、「マグマ大使は山本直純で持つ」とさえ言いきれるのです。確かに特撮などは残念ながら円谷には劣ったが、それをはるかに超越した素晴らしい作品=それがマグマ大使」なのです。マグマ大使よ永久に。
    敬具

    • MIYA TERU より:

      大石様、コメントありがとうございます。「鉄腕アトム実写版」に始まり、いろいろと勉強になります。「マグマ大使」はおっしゃる通りなんとも血が通った「温かみ」のある作品だった記憶があります。予算も少ない中、創意工夫を重ねてらしたんですね。うしおそうじさんならではの「手描きアニメの合成」技術はいま見てもスゴイなぁ、手間がかかっているなぁ、と感心します。「マグマ大使」なんだか全体的に「明るい未来」な感じが好きでした。そして山本直純先生。完全に余談ですが「川崎愛の歌」という川崎市のイメージソング耳にする機会があり、初めて聞いた時から「スゲーいい曲だな、誰作なんだろう」と調べてみたら山本直純先生作。納得でした。「マグマ大使」も一見「明るいマーチ調」なんですが、それだけではないマイナー調とメジャー調の絡み合いというか、先生の楽曲には単なる「元気な曲」だけじゃない、不思議な哀愁があるんですよね。「高度経済成長期の日本を代表する作曲家」というのが、勝手な私の山本直純先生のイメージです。

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