【昭和特撮】「シルバー仮面」~1971-1972 孤高のさすらいヒーロー・故郷は地球!

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当Blogでは以前「日曜夜7時の視聴率戦争」と題して、本作とミラーマンの争いについて解説しました。

 

 

今回は、昭和特撮の歴史の中でも異例づくめの異色・意欲作、「シルバー仮面」の魅力について掘り下げてみたいと思います。

 

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「シルバー仮面」とは?~特撮vsスポ根の時代背景

 

「シルバー仮面」
1971年11月28日~1972年5月21日
製作:宣弘社・日本現代企画
TBS系 毎週日曜19:00~19:30(タケダアワー)
全26話
*第11話より「シルバー仮面ジャイアント」に改題

 

本作は、日曜夜7時のTBS系「タケダアワー」で放送された昭和の特撮番組です。

 

タケダアワー

 

武田薬品工業(現・アリナミン製薬)が1社提供するこの枠では、1966(昭和41)年から「ウルトラQ」「ウルトラマン」「キャプテンウルトラ」「ウルトラセブン」が視聴率30%超えを連発し、社会現象ともいえる超人気を誇っていました。その後、「怪奇大作戦」(1968 昭和43年)で視聴率が下落すると「妖術武芸帳」を挟んで、1969(昭和44)年からは「柔道一直線」「ガッツジュン」と”スポ根路線”に変更されていました。

 

1971(昭和46)年、第二次怪獣(特撮/変身)ブームに火をつけた「宇宙猿人ゴリ(スペクトルマン)」「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」が誕生する一方で、スポ根ブームをけん引してきた「巨人の星」「タイガーマスク」「アタックNo.1」「金メダルへのターン!」などの人気番組が続々と終了。

 

「シルバー仮面」はそんな時期に、「タケダアワー久々の特撮番組を!」との思いで生まれた番組でした。

 

 

ちなみに、第二次怪獣ブームの火付け役である「宇宙猿人ゴリ(スペクトルマン)」(フジテレビ)の裏番組は「巨人の星」(日本テレビ)。そして本作「シルバー仮面」初回放送時の裏番組は「アタックNo.1」(フジテレビ)の最終回でした。

 

 

ウルトラシリーズとの関係

 

「シルバー仮面」の制作は、TBSとタケダアワーの代理店である宣弘社。実制作は日本現代企画が担当し、実相寺昭雄監督のコダイグループがサポートする陣容でした。

 

この日本現代企画とコダイグループのスタッフの多くは、円谷プロのOBもしくは関係者です。円谷プロ創業者で「特撮の神様」と呼ばれた円谷英二氏が1969(昭和44)年に体調を崩し、1970(昭和45)年に死去。赤字経営が続いていた円谷プロは経営の合理化により、多くの社員スタッフがリストラされ、TBSから出向していた実相寺監督も円谷プロを離れることになりました。

 

そんな時期に制作された「シルバー仮面」には、実相寺監督、池谷仙克氏(「ウルトラセブン」の美術デザイン)、脚本家の佐々木守氏(「ウルトラマン」「怪奇大作戦」)らが集結。さらにTBSプロデューサーは当時、「帰ってきたウルトラマン」を担当していた橋本洋二氏です。

 

この時期、TBSでは次作となる「ウルトラマンA」の企画も進行し始めており、「シルバー仮面」と「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンA」に関係したスタッフが多くいます。

 

このような背景から、制作会社が違うのになんだか根っこは同じ、細かな類似点が見られるのも、子供のころには理解できなかった、昭和特撮の面白い点です。

 

 

「シルバー仮面」の異色性

 

結論から言うとこの「シルバー仮面」は視聴率で苦戦し、テコ入れのため第11話からヒーローが巨大化して戦う「シルバー仮面ジャイアント」に改題される事態に陥ります。

 

放送回数は当初予定された2クール、全26話ですが、これも1年間で50話以上放送される当時の特撮番組では短命。そしてその後も再放送される機会も少なく、長年にわたり「幻の作品」「失敗作」的な見られ方をしていました。

 

しかしその一方、本作の異色性が高く評価され、カルト的に根強い人気を誇り、再評価する声も多いのです。

 

その理由は、本作の持つ独自な「差別化ポイント」にありました。

 

本作に限らず当時の特撮ヒーロー番組は「他とは違う視点」、もっと言ってしまえば「ウルトラマンと何が違うのか?」をいかに出すかがポイントでした。

 

その意味で「シルバー仮面」の差別化ポイントは、「特撮ドラマ=子供向け」という概念を打ち破る「超シリアスな人間ドラマとストーリー性」にありました。

 

TBSプロデューサー橋本洋二氏は、脚本の佐々木守氏との企画打ち合わせの際、アメリカABC制作で日本でも大人気だったドラマ「逃亡者」を参考にした、と明かしています。主人公は5人の兄妹。特撮ドラマにありがちな「地球防衛軍」ではなく「家族」が中心のホームドラマである点も、異質です。

 

 

そしてその兄妹は「正義の目的が世間から理解されず、冷たく迫害されている」「父の遺した光子ロケットの完成を夢見て各地を放浪する中での葛藤を描く」。また、「宇宙人を一方的な敵として描かない」「ビルがぶっ倒れる、東京タワーが叩き折られるなどの不自然な事件は描かない」といった点も異色です。本作の企画意図はあくまでも、リアルで硬質なドラマ作りが念頭に置かれていました。

 

そして本作のもっとも重要なメッセージが「兄妹は戦いを望んでいない」という点。企画書には「強きを倒すのではなく、弱きを助けるための美しいヒューマニズムの結晶が鉄仮面(仮称)」と記されています。

 

日曜夜7時のゴールデンタイムという、子供・幼児向けを狙うことがあたりまえのこの時代、この時間帯の設定としては、あまりにチャレンジングです。

 

あわや放送事故?な第1話

 

そんな企画意図を踏まえてみれば、1971年11月28日に放送された第1話は”傑作”です。

 

 

しかし、当時のお茶の間で「新しいヒーローが登場するぞ」と楽しみに見ていたちびっこ達は、さぞかしお口ポカーンだったことでしょう(笑)。

 

番組が開始されると、一切なんのナレーションもテロップもなく、宇宙から地球が移り、カメラが地平線の朝焼けを映したところで「シルバー仮面」のタイトル文字と共に主役のヒーローらしきマスクが映ります。

 

その後は延々と、火災現場?での消火活動と、誰かが何かから逃げようと言い争う、揉めている音声が、真っ暗な画面が続きます。時折、消防隊の人物らしき顔が大写しになりますが、基本的に真っ暗です。その後、主人公がシルバー仮面に変身すると屋敷が大爆発。そこでようやく「ふるさとは地球」のタイトルと共に、主題歌が始まります。この間、約6分!

 

話がわかった上でYouTubeで見れば何の場面か理解できますが、何の予備知識もなく、また当時の写りの良くない・声もよく聞こえないブラウン管のTVとお茶の間の視聴環境を考えたら「放送事故」と言われるレベルの前衛性。

 

 

監督を務めたのはやっぱりこの人、実相寺昭雄監督。「ウルトラマン」第23話「故郷は地球」や「ウルトラセブン」第8話「狙われた街」などを手掛けた”鬼才”。第1話は冒頭以外のシーンも、「実相寺カット(演出)」の見所が満載です。

 

 

主演の芝俊夫さんやその弟役の篠田三郎さんなどのキャスティングが難航したこと、裏番組(フジテレビ)で原作者の許可が得られず制作中止となったアニメ「長くつ下のピッピ」のピンチヒッターとして「ミラーマン」(円谷プロ)が放送されることになったためにTBSが前番組「ガッツジュン」を予定より早く打ち切り、初回放映が1週間繰り上げられたことなど、いろいろな事情が重なる中での制作でした。

 

とはいうものの、放送前の試写会では「画面が真っ暗で、何が何だか分からないじゃないか」「これを放送してもいいのか」との声が噴出。しかし宣弘社の営業部長 大本勝義氏が「画期的だ」と絶賛したため、放送に至ったと言われています。

 

実相寺監督のこの冒頭6分間の真っ暗な演出については、さまざまなエピソードが語られています。

 

・この回の主役であるチグリス星人の着ぐるみが撮影中に燃えてしまう事故が発生し、作り直していると間に合わないため、画面を暗くしてごまかさざるを得なかった

 

・実相寺監督の強いこだわりで本放送時にTBSの調整室に乗り込み、放映画像の「輝度を明るく調整しないよう」指示していた

 

・むしろ逆で、あまりにも暗すぎたため実相寺監督自らが「輝度を明るくするよう」指示して、放映にこぎつけた

 

などなど。

 

そして実相寺監督は第1話・第2話の後は制作に参加していません。そのため「この前衛的過ぎる演出のせいで降板させられた」という噂もありましたが、事実ではないようです。「TBSが若手を育成する方針だった」「連続性のあるストーリーで途中復帰が難しかった」などの理由が語られています。

 

 

ちなみに・・・主人公を演じる芝俊夫さんは、「ミラーマン」のパイロットフィルム版で主人公を演じていたそう。因縁を感じますね。

 

 

渋い主題歌

 

硬質で重いテーマな本作は、その主題歌も男性コーラスによる渋い軍歌調の楽曲です。

 

作詞は佐々木守氏、作曲はなんと演歌界の巨匠、猪俣公章さんです。

 

「故郷は地球」
作詞:佐々木守 / 作曲:猪俣公章 / 歌:柴俊夫、ハニー・ナイツ

 

 

視聴率で苦戦・テコ入れで巨大化路線へ

 

こうしてスタートした「シルバー仮面」の第1話の視聴率は14.6%。裏番組「アタックNo.1」が最終回だったことを踏まえても、関係者の期待を裏切る結果となりました。

 

さらに、翌週から裏番組「ミラーマン」がスタートすると、第2話の視聴率は一気に6.2%に下降。その後も「シルバー仮面」の視聴率は一桁台の低空飛行を続け、第9話では最低の3.6%まで落ち込みます。

 

 

後に実相寺監督は「ドラマを優先させるのか、超人のレスリングを優先させるのか?なかなか一本の太い芯が見つからなかった」「言ってみれば怪獣モノをATG映画の調子(トーン)で撮ったような奇妙なものが出来上がった」と語っています。

 

そこでテコ入れとして行われたのが「ヒーローが巨大化して戦う」。1972年2月6日放映の第11話から、番組タイトルも「シルバー仮面ジャイアント」に改題されます。

 

 

それまでは等身大のヒーローだったシルバー仮面が巨大化し、必殺技を繰り出して巨大怪獣と戦う。この「ジャイアント編」第11話から第26話の平均視聴率は8.8%と、第2話から10話の平均視聴率6.0%を(若干ですが)上回りました。中でも第16~18話は3週連続で10%超えを果たし、裏番組「ミラーマン」の視聴率を常時20%割れの状態に追い込む健闘を見せました。

 

しかしこれは、当初の意欲的な企画を全否定して「フツーの特撮ヒーローもの」にする方針転換であり、スタッフの胸中は複雑でした。上原正三氏と共に本作を支えたメインライターの1人、市川森一氏は「大人の鑑賞にも耐える作品を作りたいという意欲に燃えていたんです。しかしそれは挫折しました。」「途中からシルバー仮面が巨大化し、さすらいの設定がなくなった時は屈辱的でした。」と語っています。

 

その後の「シルバー仮面」

 

その後、「シルバー仮面」はDVDやBlu-rayなど、数回に渡ってソフト化。すると年を追うごとにその独自性と面白さが理解され、評価が高まっていきました。

 

 

プロデューサーの橋本氏は「自分を含めて佐々木も実相寺も未消化のまま番組を進めたため、未だにファンが映像ソフトを購入してまで見ようとしてくれるのはありがたいが、どうしてファンが多いのかわからない。」「時間がなかったせいもあって結局、成熟しきれない、生のものが出来上がってしまったという想いです。ただ、作品自体は嫌いじゃありません。」と語っています。

 

自らが手掛けた第1話、第2話を「失敗作」「発端を手掛けた私が駄目だった」「自分の作風はテレビシリーズの第1話には向いていない」などと発言していた実相寺監督は晩年、劇場映画「帝都物語」(1988年)を大ヒットさせた後、「シルバー仮面」のリメイクに挑みました。2006年11月29日に亡くなった実相寺監督にとって、原案・総監修・第1話の監督を務め同年12月に劇場公開された「シルバー假面」が遺作となりました。

 

コメント

  1. しぎねみ より:

    1話のラストでチグリス星人が火だるまになりのたうち回るカットもあまりにも
    生々し過ぎますが9話のドミノ星人との戦闘も墓場ぼい?所で卒塔婆を抜いてドミノ星人をボコボコに殴り最後は高い所から投げ捨てて勝利する罰当たりファイトがあまりも
    シュールと言うか今だとコンプラ的に完全アウトな戦闘シーンが色々スゴイですね!

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!1話のチグリス星人の炎上は半ば事故だったようで、「着ぐるみを燃やした!」と実相寺監督は後でエライ怒られたと語っててらっしゃいますねwドミノ星人の墓場で卒塔婆で殴る&崖から突き落とすシーンは、あまりにヒドいと一部で人気のようですw

  2. ナルカナ より:

    初めまして。ブログランキングからきました。

    シルバー仮面をリアルで見ていた世代です。凄く懐かしいです。
    当時は途中で大きくなったのはなぜかわかりませんでしたが、大人の事情と言うことで納得しました。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!カテゴリから検索>「特撮」にて、当時のいろいろな番組を取り上げていますので、ぜひご一読ください!

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