昭和特撮「金城哲夫」と「成田亨」〜ウルトラマンを創った男たち①

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今回は、脚本家 上原正三さんの訃報に際し、その前段として「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など円谷プロダクション黎明期の傑作を支えた伝説の2人のクリエイター、金城哲夫さんと成田亨さんをご紹介します。

 

 

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■脚本家 金城哲夫さん(1938-1976)

生まれは東京ですが中学まで沖縄で過ごし、悲惨極まる沖縄戦も体験されました。高校から上京し、大学在学中に脚本家を志した金城さんは、恩師に紹介された「特撮の神様」円谷英二さんの下でシナリオライターとして学び、東宝特撮映画の脚本で知られる関沢新一氏の「ポジティブな娯楽(エンターテインメント)志向」に強い影響を受けたといいます。

 

金城さんは円谷プロ初のTV特撮番組「ウルトラQ」(1966 昭和41年)に参加。以後、「ウルトラマン」(1966 昭和41年)、「ウルトラセブン」(1967 昭和42年)の企画立案とメインライターを務めます。

 

金城さんはこの間、円谷プロの「企画文芸部長」として、自身の脚本執筆に加え、他のシナリオライターへの発注および改訂の「脚本監修」、監督のローテーション組みなど「シリーズ構成」まで担っていました。

 


 

■デザイナー 成田亨さん(1929-2002)

成田さんは青森県出身、武蔵野美術学校(現 武蔵野美術大学)彫刻科に在学中、「ゴジラ」(1954年)の特撮班にアルバイトとして参加したのが縁で、映画各社で美術制作に携わるようになります。

 

その後、円谷プロ「ウルトラQ」第2クールから美術監督を務め「ウルトラマン」「ウルトラセブン」、そして「マイティジャック 」の怪獣やレギュラーメカのデザインを手がけました。

 

成田亨さんは「怪獣は独創的なものでなければならない」との考えから「実在の動物を大きくしただけという類いのデザインは避ける」「視聴者を不愉快にさせるような化け物にはしない」というポリシーがありました。

 

これは「怪獣はあくまで自分たちと同じ生き物であり、暴れるのにはそれなりの理由がある」として「人間が一方的に怪獣を悪者にしてやっつけるだけのストーリーにはしない」、という金城さんの理念に共鳴したものでもありました。

 


 

●2人が生み出した「ウルトラマン」デザイン

 

主役である「ウルトラマン」のデザインも、金城さんが企画立案者として成田亨さんに依頼して進められました。

当初は「怪獣vs正義の怪獣」的なイメージで、東宝特技課の美術監督 渡辺明氏によるクチバシと翼を持つカラス天狗のような「ベムラー」が立案されます。

その後、金城さんは成田さんに「いまだかつてない、カッコいい、美しい宇宙人にして欲しい」とリクエストしたそうです。

これを受け、成田さんはツノをはやし、ダイヤモンドカットの髭を生やしたギリシア神話のような「レッドマン」を提案。

 

さらに検討が加えられ、「宇宙時代のヒーロー」としてロケットを思わせるシルバーのカラダに、余計なものを徹底して削ぎ落としたルックスの「ウルトラマン」が生み出されます。

 

当初のカラーリングはシルバーに宇宙を思わせる青いラインでしたが、ブルーバック合成の際に不具合なため、血管のような赤いラインに。

 

 

また、成田さんは覗き穴とカラータイマーを付けることに終始反対していたことは有名です(だからウルトラセブンにはカラータイマーがなく、額にビームランプがある)。それを尊重した庵野監督の「シン ウルトラマン」に覗き穴とカラータイマーがないことが、話題をよびました。

 

 

また、毎回登場する怪獣デザインの大半は、金城哲夫さんと成田亨さんが相談して決めていたそうです。

 

<成田亨さんの手による怪獣/宇宙人>

【ウルトラQ】14話以降
バルンガ・ガラモン・ボスタング・ピーター・カネゴン・パゴス・ケムール人・ラゴン・M1号・ゴルゴス・ゴーガ・セミ人間
ペギラ(井上泰幸さんデザイン原案)
【ウルトラマン】
バルタン星人・グリーンモンス・ゲスラ・ガボラ・ネロンガ・マグラ・アントラー・ジラース・ドドンゴ・ミイラ人間・ペスター・ギャンゴ・ガマクジラ・ガヴァドン・ブルトン・ケムラー・バニラ・アボラス・ベムラー・レッドキング・ゴモラ・ジャミラ・グビラ・ヒドラ・ザラブ星人・テレスドン・ギガス・ジェロニモン・メフィラス星人・ドラコ・ダダ・ゴルドン・ザンボラー・ウー・ケロニア・シーボーズ・ザラガス・スカイドン・キーラ・サイゴ・ゼットン
【ウルトラセブン】29話まで
ミクラス・ピット星人・エレキング・ビラ星人・クール星人・メトロン星人・ワイアール星人・アイロス星人・キュラソ星人・ゴドラ星人・プラチク星人・ペガッサ星人・ウィンダム・チブル星人・イカロス星人・ナース・ワイルド星人・アンノン・キングジョー・ユートム・ベル星人・グモンガ・ブラコ星人・バド星人・ギラドラス・シャプレー星人・シャドー星人・カナン星人・ガブラ・ガンダー
ポール星人・ギエロン星獣・ボーグ星人・プロテ星人・恐竜戦車・アイアンロックス・スペル星人
 

 


 

●相次いで円谷プロを去る

 

成田さんは1968(昭和43)年、「ウルトラセブン」と「マイティジャック 」の美術監督を途中降板して円谷プロを去ります。

金城さんもまた、翌1969(昭和44)年、円谷プロを退社して沖縄へ帰郷しました。

 

金城さんの退職は、大人向け特撮番組を志向した「マイティジャック 」が平均視聴率が8.3%と低迷し1クールで打ち切りに終わり、挽回を期した「怪奇大作戦」は平均視聴率22%と健闘したもののスポンサーの「ウルトラに比べて低い」という評価で終わり、円谷プロが経営不振に陥ったことが原因でした。

「マイティジャック」について詳しくはコチラ

 

文芸部が廃止となり、シナリオライターではなくプロデューサーに専念することを要求されたことで円谷プロ退社を決意した金城さんは、沖縄に戻ると沖縄芝居の脚本や監督、テレビ・ラジオの司会者などとして活躍。そして1975(昭和45)年に開催された「沖縄国際海洋博覧会(EXPO’75)」では、閉会式など式典の演出を担当するなど、本土と沖縄の架け橋となるべく活躍しました。

 

しかし期待された経済効果が薄く「起爆剤じゃなく自爆剤だ」「海洋博は海洋汚染を引き起こした」など一部の沖縄の人々から批判を浴びた金城さんは悩みを抱え、1976(昭和46)年、海洋博閉幕の翌月に自宅で泥酔し転落、37歳で早逝しました。

 

 

成田さんは後年、ウルトラマンや怪獣、メカニック等のデザインに関する権利を巡り作品の著作権を持つ円谷プロとたびたび対立。原告として円谷プロを相手取り著作権に関する民事訴訟も起こしました(判決を待たずに「原告側の訴訟取り下げ」により終了)。

 

その間、「突撃!ヒューマン」や映画の特撮美術や百貨店のディスプレイのデザインなどを手がけ、美術家として鬼などのモンスターをモチーフとしたモニュメントや絵画を多数残し、2002(平成14)年、72歳で死去されました。

 

 

奇しくもお2人の命日は同じ「2月26日」です。

 


 

●金城作品と「沖縄」

 

金城さんの担当した作品では、その出自から「沖縄問題との関連性」が必ずといっていいほど語られます。

 

例えば、「伝説怪獣ウー」(ウルトラマン)での“雪んこ“差別と迫害侵略された被征服民の悲哀を描いた「ノンマルトの使者」(ウルトラセブン)などは、アメリカ統治下の沖縄と本土との関係性をモチーフにした…という具合です。

 

しかし、同郷で同時期に脚本を務めた上原正三さんは「自分より悲惨な戦争体験をした金城氏が戦争を語ることはなかった。傷が深ければ深いほど、そんなに簡単に出すわけがない」と語っています。また、満田かずほ監督ら円谷プロ時代の金城氏をよく知るスタッフは口々に「彼から沖縄や米軍の問題などは聞いたことがない」と否定的な見解が示されています。

 

私も、複雑な沖縄問題を一面からだけの紋切り型で語るのは、金城さんの願いとは異なる気がしてなりません。

 

次回は金城さんと沖縄問題との関連も深い、上原正三さんの追悼記事をご紹介します。

 


 

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