私感「シン・ゴジラ」

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▲描いてみました

 

2016年の公開以来、もはやネット上には、あーじゃないこーじゃない、と語られ尽くされ続けている「シン・ゴジラ」

ゴジラシリーズはほぼすべて観てきた1970年生まれの私の感想です。



●予想と違う

いろいろと想像して観に行きましたが、第一印象は「想像と違う」でした。

会議のシーンが長い、早口で専門用語連発で喋るので聞き取りにくい、岡本喜八監督リスペクトで「日本のいちばん長い日」オマージュ、というのは噂で聞いてましたので、

てっきり深刻&深刻、シリアスな重ーいドラマなのかと想像していたのですが、

なんか巨大生物かも?という初動の政府高官の反応は緩くて笑える感じでした。

それがリアリティだったり皮肉だったり、その後、段々と自体はシリアスになり、
まるで笑ってられなくなるので緩急をつけた、なのは理解してますが、

庵野さんってあんなとこで笑い取りにくるんだ、というのが意外でした。

てっきり気合入りまくりでガチガチに作り上げてると思っていたもので。



●ゴジ…バラゴン?

そしてもう一つ、ゴジラが変態するらしい、というのはなんとなく知ってましたが、初登場があの姿、には拍子抜けしました。

思わずえ?バラゴン?敵怪獣は出ないんじゃなかったの?と考えてしまいました。

だってあれからあの姿になるなんて、いくらなんでも変態し過ぎです(笑)



●ゴジラなき世の中

また、これが最大の違和感なのですが、ゴジラが出てきて、劇中の誰もあれを「ゴジラ」どころか「怪獣」とも認識していない、というつくりです。

これは初代、オリジナル作品では当然そうなのですが、その後のシリーズでは初?なのかな。

ミレニアムでも平成シリーズでも、
「ゴジラは過去に日本に現れた怪獣」
という認識があったように思います。

それなのに本作では劇中、誰からも「ゴジラだ!」どころか、「怪獣だ!」的なセリフがない、というのは逆にリアルじゃなくない?と感じました。

今回の作品は徹底的にリアルなシミュレーションドラマなのですが、この作品には円谷英二もゴジラも怪獣も、もっといえばウルトラマンもない世の中、という事になりますよね。

そんな日本は考えられないのです。

まぁそれは、庵野総監督や金子監督らスタッフでそれでいこう、と決めたのですからそれはそれで良いのかと思います。

 

おそらく庵野総監督は、第1作のゴジラを、自分なりの総力を挙げて新たに作り直す、というテーマだったからなのだろうと思うのです。



●BGM

もう一つ予想外だったのが、オリジナルの伊福部さん作の楽曲が多用されていたことです。

庵野総監督には鷺巣詩郎という凄腕の右腕(ややこしい)がいて、エヴァ始め庵野作品では必ず、この人のサントラがものすごい威力を発揮、私はこの人の楽曲が大好きなのです。

言うなれば、宮崎駿さんにとっての久石譲さんです。

当然、本作でも楽曲制作は鷺巣氏で、予告編では「らしさ爆発」な陰鬱な旋律のクラシック調のBGMが流れていました。

なので、ファンサービスで少しだけ伊福部さんのが…くらいの期待だったのですが、

なんとオープニングからまんまオリジナルリスペクト、これはまぁ想像できたのですが、

ゴジラの姿になっての初登場シーン、それから自衛隊の出動、それからエンディングまで、ほぼいいところはほぼ伊福部さんの楽曲が占め、しかもモノラルの音源のまま流れていたりしていて、これには驚き、というより感動しました。

会議のシーンでまんまエヴァの戦闘曲が2回使われた、エンディングはアナログ音源だった、ということで批判されてもいますが、

これは私からすると、

「考えられる最高のものを使いたい、だってゴジラなんだぞ」

という庵野総監督の強い意志からくるもので、
「オリジナルだとか音質だとかの問題じゃないんだよ!」
というこだわりというか、リスペクトのあまり自我を棄てたのか、と感じて、嬉しくなりました。

後で知りましたが、庵野氏は鷺巣さんに依頼して、オリジナルの伊福部さんのアナログ音源を完全再現したスコアで録音して、さらにオリジナルとミックスしたもの
まで用意させていたらしいのですが、結局使わなかったとか…

そのくらい、庵野総監督からしたら
「あのまんまを使うべきだ」
と考えたのだろうと思います。

さらには鷺巣さんが書き下ろした楽曲のいくつかはそのせいで劇中使われなかったものもあったのでは…もしそうだとしたら、土壇場で差し替えたんだと思います。

これはもう、総監督なんだからそれがどう批判されようとも、それでよいと思う訳です。

私だってそうする、と言いたいところですが、実際のところはそこまでやり切れたか自信ないですね…

だって鷺巣さんせっかく作ってるのに…(笑)

 

ただ、ゴジラの音楽として伊福部さんのあの不気味かつ土着的かつエキサイティングな旋律に勝てるものはなくて、さらにはこれまでのゴジラ作品を観たものの記憶という、取り返しのつかないものとリンクしてるので、

この選択は正しいと私は思います。

(ついでに言えばオリジナルだけでなく
ゴジラvsメカゴジラとかラドンとかマーチとか、自分が好きな、評価の高いゴジラ音源は全部使う、というところもなんとも狂おしい程の愛情を感じます)

 

さらにこれはBGMだけでなく、鳴き声や効果音に至るまで、過去のゴジラの資産をしっかり引き継いでいる点も…

まぁキ●ガイレベルのオタクですから、そりゃそうするよね、というところなのですが、

「自らの手で新たなるゴジラを…」
とか僭越すぎる考えなしの輩のほとんどな世の中で、この決断には拍手を送りたいです。


●ランドマークを壊さない

今回のゴジラは、オリジナル初上陸へのオマージュを込めて品川、その後は鎌倉から横浜の山奥を抜けて、武蔵小杉で多摩川を絶対攻防ラインとした自衛隊と衝突。

その後は都内を進みラストは東京駅で最終決戦、となります。

東京タワーとか都庁とかランドマークタワーとか新宿副都心とか銀座の時計ビルとか、その手の場所を壊して回るハズなのに、そこは完全にスルーしました。

普通に考えて、新作としてまだゴジラ映画に登場していないスカイツリー、ガイジン人気の高い渋谷のスクランブル交差点は本命だったのですが、近寄るどころか画面にも映りませんでした。

旧作に比べ倍以上、100メートル超えのゴジラとはいえ、大きさ的に見劣りするからとか、CGやミニチュア作るのが大変とか、
そんな理由で回避することはありえない
(実際、東京駅ではものすごいシーンあり)ので、

「そういうわかりやすいことはしない」
というポリシーなんでしょうかね。

東京駅でのラストバトルは絶賛されている「無人在来線爆弾」というステキすぎるネーミングの(良い意味で)爆笑ものの名シーンがあり、満足度は高かったのですが、
ラストで凍結されたゴジラが象徴的にそびえ立つ場所として、東京駅にしたのには深い意味があるような気がしなくもないです。

文字どおり東京のど真ん中、であり、皇居を見守る場所であり、という。

2001年作の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』という作品では、ゴジラは大東亜戦争の英霊の化身としてゴジラが描かれていますが、そこまでどストレートな理由とは思いませんが。



●ゴジラと放射能

もともとが反核テーマ、水爆で生まれたゴジラですので、このテーマを外す訳にはいかないのですが、ヘンにサヨクチックにならずに、SNSでの拡散やデモ隊など、現代の問題点をうまく取り込んで展開していく点が絶妙でした。

ゴジラの原子炉がメルトダウンして…というのは実は震災より遥か前の95年、『ゴジラvsデストロイア』などでも扱われているので真新しくはないのですが、

やはり福一原発事故を体感した現在では、
その危機感たるや桁違いに「来る」ものがあります。

特にゴジラが暴走して、下顎を割り紫の熱線を放射して東京を焼き尽くすシーンは、
オリジナルの大空襲を体験した観客とは違う、震災のでのあの気仙沼の大炎上を体験した我々ならではの絶望感とショックを与え、もうやめてくれ、と思わせる演出は流石でした。

庵野氏はナウシカに始まり、この手の「絶望的な大炎上」を描かせたら天下一品ですからね…。

しかし現実とは違い、この作品ではアメリカさんの介入にも負けず英知を結集してゴジラを冷却、見事アンダーコントロールとしますが、それでもいつまた暴れ出すかわからず、次暴れたら核使うぞ、とWでリスクを喉元に突き付けられたままで、付き合い続けることを余儀なくされるのは、現実社会と重ね合わされます。



●それなのに前向きで明るい

そして私が最も意外に感じたのが、ラストでの主人公たちの
「この国はまだやれる」
「スクラップアンドビルドでこの国は何度も立ち上がってきた」
とするあくまでも前向きなエンディングでした。

そもそもこの作品での主人公は決してブレず、逃げません。
誰一人私利私欲を口にさえしません。
これは庵野氏の作品としては異例です。

おそらくはエヴァをリメイクしようとしたがどうしても作れなくなり、鬱になり死にたくなり、そんな時にゴジラの監督を依頼され、断ったのにやっぱり引き受けて、周囲のサポートを受けて見事に作り上げた、庵野氏の現在の心境を表しているのだと思いました。

本作品の批判の一つに、
「一般市民がまったく出てこない」
というものがありますが、あの官邸での対策本部の熱血的な舞台を描きたいために敢えてオミットしたハズで、あの官邸チームは庵野氏にとっての作品制作チームなのだと思います。

エヴァ作れない→ゴジラに逃げる→見事にコケる→庵野氏、本当に終わる

という周囲の残酷な予想を見事に覆し、このシン・ゴジラの高評価を得た庵野氏が、今度こそエヴァを終わらせる事ができるのか、楽しみです。(もはや終わらせなくても良いのですが)



●さいごに

メロドラマなし
アイドルなし
ラブコメなし
家族愛なし
お涙頂戴なし
かったるいテンポなし
タイアップ曲なし

という、あらゆる邦画のクソな要素を徹底的に排除しても客は入る、というかその方がウケる、という事も、本作品の評価ポイントだと思います。

もちろんゴジラというキラーコンテンツがあってこそ、なのですが、もはやその手のオーデナリーピーポーよりも、オタク層の方がパワーがあり、マイノリティでもない現代社会というものを、映画関係者といわれる人達は直視したことでしょう。

それから、リメイクするならオリジナルにリスペクトを持ち、誰よりもその魅力を研究して、皆が観たいものを、ひたすら真面目に手を抜かずに創る、という当たり前の事が、改めて見直されたら良いな、と思います。

 

コメント

  1. 大石良雄(本名) より:

    拝啓 サイトヘッド様にはお世話になっております。
    この「シンゴジラ」に関して、これだけ勉強しておられる方もそうそうおられず、映画全般につきまして自分の申し上げたい点は網羅されており、自分が発言する必要も理由もございません。唯一つ「音楽」についてだけ、少しお話させて下さい。
    *「シンゴジラとは? 音楽面では大失敗作映画」
     結論は「作曲家の人選ミス」でした。サイトヘッド様も世間も「監督と癒着と言うか一心同体」と言うか、自分的には「単なるPプロの鷺巣富雄氏の倅」としか認識しておりませんし、そうそう世間が言う程優れた作家とも思われません。(自分は、たとえ相手に興味関心が無くても嫌いでも、必ず作品のみを聴き込み」ます。其処で「何処が好きで何処が嫌いか?」を導き出します。この鷺巣詩朗の場合確かにアレンジャーとしてはそれなりの人なのでしょうが、メロディメーカーとしてはかなり好き嫌いがはっきり分かれるタイプ=久石譲と共通するタイプの作家です。今回の「シンゴジラの音楽」の中で、サイトヘッド様は「かなりの部分、と言うよりも肝心要の重要な部分で、、、、鷺巣の音楽では無く伊福部昭先生の曲が使われていた」と、、、、実は此処ではっきりしていのは鷺巣の曲では使い物にならなかったのだと。
    サイトヘッド様は良く聴かれて勉強されておられますが、メインの伊福部節は大半モノフォニックでした。と言うよりも「昭和ゴジラや宇宙大戦争突撃のマーチ」等の流用は、どう考えてもあのシーケンスには似合わない。あの監督は何を考えていたのか? ああいう場面シーンこそ「作曲家の腕の見せ所」なのですが、おそらく鷺巣の実力ではメロを造り出せなかったのでしょう。正直「音楽面だけでは物凄く変な、疑問だらけの映画」でした。
    まぁ、、、日本の政治中枢がイザと言う際には全く役に立たない事を露呈したかったのか、何かのメッセージを発したかったのか? こういう中途半端な点が「平成ガメラシリーズのすさまじいばかりの物凄さと優秀さ」に劣る点なのです(大谷幸氏の音楽は素晴らしかった)
    サイトヘッド様はどのように感じられるか、、、、自分的に「ゴジラの音楽を創造クリエイトした音楽家は何と言っても伊福部昭先生ですが、実はゴジラのテーマもかなりの曲が必ずしもゴジラの為の曲では無くて、実は「伊福部先生の過去の映画音楽や純音楽からの流用」だった事を知り、かなり複雑な思いでした。思えば40年近く以前「伊福部昭先生に直接インタビューさせて頂き、何かと重要な点をご指導頂き、いや貴方は実に良く勉強さておられ態度も立派だ」とお褒めのお言葉を頂戴したのは自分の金看板で生涯の誇りです。この中で伊福部先生は、自分がオリジナルスコアを見聞させて頂きたい旨申し上げた際、「曲は、マイクを近づけたり遠ざけたりして録るのでスコアを観ても解らないだろう」と。大変重要な事をお話しくださいました。このお話で解るのは「空の大怪獣ラドン ラドンがジェット戦闘機を叩き落す際のBGM=モノフォニックながら不思議と物凄い遠近感=エキスパーティヴが感じられる曲」があり、「嗚呼これなのだ」と納得いたしました。
    *「伊福部昭先生のゴジラ節を世界で唯一人、超越した大天才=大島ミチル様」
     自分はこの大島ミチル様が大好きで、もう死ぬ程惚れ抜いておりますが、、、実はミチル様は「平成ゴジラシリーズの音楽をかなりの数担当」されており、これはもうプロデューサーの「作家を視る眼の確かさ」でした。大正解でしたね。此処で「平成ゴジラは、完全に伊福部昭先生の呪縛から解放された」のです。そうっゴジラ作品で世界で唯一人、伊福部昭先生を超えた大天才が大島ミチル様なのです。全ての曲は「徹底的に磨き抜かれたぶ厚いオーケストレーションで、特にブラスの重ね方がすさまじく、メロディーラインもおそらくは伊福部先生も用いたワーグナースタイルのライトモティーフの手法を取り入れ、素晴らしくすさまじく「恰好良いメロディー」には心底驚かされた。しかもミチル様のアイディアで「ロシアのオケを使ってのレコーディング」には恐れ入ったぜと。ご存じの通り「ロシアのオケってぇ、音ばかり馬鹿デカくて大味」なのですが、、、ゴジラ音楽には何か妙にマッチングしていたのです。今聴いても物凄く興奮エキサイトいたしますね。さすがはミチル様、城之内ミサ、中村由里子等と並んで世界一の女性大作曲家ですよ。何処ぞの野蛮国等絶対にかなわないと。
    おそらくあの監督はもう二度とゴジラからはお呼びがかからないでしょうが、もしも万一超一億一お呼びがかかったら「ミチル様やミサ様を使いなさい」と自分は強く申し上げ、強く推薦いたします。日本の女性は物凄いのですよ、、、並みの野郎どもが束になっても絶対にかなわない、、、日本の底力ってぇ実はこういう点なのです。
    今自分は日本に生を受け、この時この時代に「ミチル様やミサ様、由里子様」等に巡り合えた事に心より感謝しております。鷺巣詩朗なんてぇ問題になりませんよ。  敬具

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。「音楽面だけでは物凄く変な、疑問だらけの映画」確かに、その視点で観るとその通りでしたね。私はてっきりそれも庵野監督の計算、思い入れかと思っていましたが。。。「伊福部昭先生のゴジラ節を世界で唯一人、超越した大天才=大島ミチル様」そうなのですね!

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