昭和ドラマ「太陽にほえろ!」〜1972-1986 殉職の歴史!個性豊かな刑事たち

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1970〜80年代TVドラマ、刑事ドラマの代表格、といえばなんといっても「太陽にほえろ!」です。

あまりに長寿番組でエピソード満載過ぎて取り上げるのに勇気が要りましたが、今回は登場しては殉職していった刑事たちをご紹介しながら、「太陽にほえろ」の魅力をご紹介します。 ©日本テレビ、東宝

 


 

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「太陽にほえろ!」とは?

 

「太陽にほえろ!」


1972(昭和47)年7月21日〜1986(昭和61)年11月14日
日本テレビ系列
毎週金曜 夜8時-9時
全718回

 

昭和のテレビ、金曜夜8時のゴールデンタイムは戦国時代でした。

筆頭がこの日本テレビ刑事ドラマの金字塔「太陽にほえろ!」。

TBSでは教師ドラマの伝説的番組「3年B組金八先生」。

そして80年代にプロレスブームを巻き起こしたテレビ朝日「ワールドプロレスリング」。

石原裕次郎vs武田鉄矢vsアントニオ猪木、という三つ巴の視聴率争いだったのです。

 

「太陽にほえろ!」の放送開始はこの中でもっとも早く、先行者利益で王者としての風格がありました。

放送がスタートした1972(昭和47)年といえば札幌オリンピックが開催され、田中角栄政権が発足し、新幹線はまだ岡山までしか走っていませんでした。

 

かつての日活のスーパースターである「石原裕次郎が東宝制作のTVドラマにレギュラー出演」というだけでも大ニュース。

そしてショーケン、松田優作ら、数々の若手スターを輩出していく人気長寿番組となっていきました。


 

「太陽にほえろ!」のパターン

 

長寿番組化しただけあり、スタート当初からそれまでの刑事モノとはひと味違う、独特のパターンがありました。

 

〈ニックネーム〉

石原裕次郎さん演じる七曲署捜査一係の藤堂俊介係長、通称「ボス」をはじめ、各刑事はそれぞれ、ニックネームがありました。

ヤマさん、チョーさん、ゴリさん、デンカなどの固定化したベテラン、中堅メンバーに、イキの良い若手刑事が加わり、時に暴走したりしながらもチームワークで事件を解決していきます。

 

〈疾走と青春〉

若手刑事たちは初代のマカロニ(萩原健一さん)を筆頭に、ひたすらに走り廻り、とにかく足で操作するスタイル。

その“疾走“シーンにはテーマ曲がドラマチックに使われ、ある種「青春ドラマ」的な側面もありました。

 

〈テーマ曲〉

「太陽にほえろ!」といえば、井上堯之さんによる番組テーマ曲が超有名。井上堯之さんは元スパイダース、沢田研二さんや萩原健一さんとバンドで活躍していました。同じく日本テレビ系ドラマでは「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」のテーマ曲も手がけておられます。

そして特長が「刑事ごとのテーマ曲」。張り込み、尾行、疾走などのシチュエーション劇伴だけでなく、キャラクターに合わせた個別テーマ曲があるのは異例で、若手刑事たちの特権でした(後にベテラン勢にもテーマが作られましたが)。

   

〈殉職〉

そしてその若手刑事達は、最期は壮絶な“殉職“で交代していきます。また、初期はいずれも「ジュン」という役名がつけられていました。これらの様式美は、初代若手刑事のマカロニ役を演じたショーケンこと萩原健一さんを口説き落とした、総監督の竹林進さんの「君の走っている姿を撮りたい」という言葉から始まったのだそうです。

 

定番化した“殉職“についてもマカロニが発端で、この役のイメージに固定化されることを嫌ったショーケンが、自ら“殉職して降板“を希望したのがきっかけ、なのだそうです。

 

その後、ジーパン、テキサス、ボン、ロッキー、ラガー、ボギーらの若手に加え、中盤以降ではデンカやスコッチ、ゴリさん、ヤマさんのベテラン勢まで、計11人が殉職あるいは事故、病気で死亡して”卒業”していきました。

 

ドラマじゃなかったら責任問題でボスは早々に降格させられていますね(笑)。


 

登場した刑事たち

「太陽にほえろ!」の魅力はなんといっても個性豊かな刑事たち。登場順にご紹介します。

 

〈初回からの生え抜きベテラン勢〉

 

藤堂俊介(ボス) 1972-1986

石原裕次郎さん演じる「ボス」は、基本的に机に座りお茶を飲む、電話を受けて眉間にしわを寄せるのが仕事。たまに現場に出かけると、大魔神が動いた!くらいのインパクトがありました。

 

山村精一(ヤマさん) 1972-1986

露口茂さん演じる「ヤマさん」は見たまんま刑事コロンボ的な知性派。初期は拳銃ぶっ放したり、サボってマージャンしたりと結構アウトローでした。後半の1986(昭和61)年、銃で撃たれて死亡。

 

石塚誠(ゴリさん) 1972-1982

竜雷太(峰竜太さんではない)さん演じる「ゴリさん」は「ゴリ押し」が由来だそうですが、みんな「ゴリラ似」だと思ってました。狙撃の名手。1982(昭和57)年に撃たれて殉職。作品中で唯一、ボスに看取られたことでも知られています。

 

島公之(デンカ) 1972-1980

小野寺昭さん演じる「デンカ」はソフトなマスクと物腰で貴公子的なイメージから。多数の女性ファンからの助命嘆願があり、1980(昭和55)年に交通事故死で卒業しました。

 

野崎太郎(チョーさん) 1972-1982

下川辰平さん演じる「チョーさん」は交番勤務からのたたき上げ。団地住まいの家庭エピソードが多くありました。人情派のベテラン。1982(昭和57)年、自ら志願して警察学校の教官に転任して卒業。

 


 

〈若手刑事たちと合流組〉

 

早見淳(マカロニ) 1972-1973

萩原健一さん演じる初代若手刑事の「マカロニ」。マカロニウエスタン調の風貌、ということからのニックネームです。1972年(昭和47)年)12月1日放送の第20話ではマカロニに拳銃で射殺される犯人役で沢田研二さんがゲスト出演しています。そして1973(昭和48)年、立ち小便の直後に小銭狙いの窃盗犯に通り魔的に刺されて死ぬ、というラストを迎えました。

 

柴田純(ジーパン) 1973-1974

松田優作さん演じる「ジーパン」は空手の有段者。1974(昭和49)年、自分が身を挺して救った男に撃たれ有名すぎる「なんじゃあこりゃ」の絶叫を残して殉職。

 

この2人の伝説の死に様が、後の番組とご本人達の、大ブレイクにつながりました。

 

三上順(テキサス) 1974-1976

勝野洋さん演じる「テキサス」はテンガロンハットがトレードマーク。前任2人と比べ爽やかで真面目な優等生キャラでした。1976(昭和51)年、拳銃密造グループの取引現場に単身乗り込み、激しい銃撃戦の末に蜂の巣にされて絶命。

 

田口良(ボン) 1975-1979

宮内淳さん演じる「ボン」は大阪生まれでぼんぼんが由来。テキサスの弟分的なキャラで、大人気となりました。1979(昭和54)年、女性を庇って被弾し殉職。

 

滝隆一(スコッチ) 1976-1977,1980-1982

沖雅也さん演じる「スコッチ」は三つ揃いのスーツで英国紳士的キザ男から。チームワークを嫌い単独行動しますが拳銃の腕前は一流。半年で1977(昭和52)年に一度退場するも乞われて復帰し、若手のリーダー的存在になりましたが1982(昭和57)年、持病が悪化して病死。

ちなみに欠場中の1979(昭和54)年、主演の「俺たちは天使だ!」は、辛い役回りを演じた沖雅也さんへの御礼の意味合いもあったのだとか。沖さんはこの後、1983(昭和58)年6月に衝撃の自殺を遂げました。

 

岩城創(ロッキー) 1977-1982

木之元亮さん演じる「ロッキー」は山男。1982(昭和57)年、カナダ ロッキー山脈で自然を庇いダイナマイトを消そうとしたところを撃たれて殉職。カナダロケの殉職スペシャルを用意された辺りに、当時の人気ぶりが伺えます。

 

五代潤(スニーカー) 1979-1981

山下真司さん演じる「スニーカー」は先輩のボンにもらったスニーカーをずっと履いていることから。珍しく殉職せず、1981(昭和56)年に自ら退職、沖縄へ帰郷。「スクールウォーズ」で大ブレイクしたのはこの3年後でした。

 

西條昭(ドック) 1980-1986

神田正輝さん演じる「ドック」は医学部出身。自らニックネームを要求するも当初は「ヤブ」と呼ばれていました。スニーカーをスリッパ、ロッキーをアルプスと呼んだりするお調子者キャラ。最終回まで生き残りました。

 

竹本淳二(ラガー)  1981-1985

渡辺徹さん演じる「ラガー」はそのまんまラグビー部出身。1985(昭和60)年、バス狙撃犯と相討ちして殉職。当初はスリムな見た目に爽やかルックスのアイドルとして歌番組やCMでも活躍しましたが、最後は別人のように太り、プロレスラー橋本真也が「戦う渡辺徹」と呼ばれる所以に。

 

原昌之(ジプシー)  1982-1983

三田村邦彦さん演じる「ジプシー」は一匹狼的、所轄署を渡り歩くのが由来。1983(昭和58)年、別の署へ栄転となり卒業。ほぼ同時期にテレビ朝日の「必殺仕事人Ⅲ」にも出演し、いまでいう腐女子層に人気絶頂でした。

 

春日部一(ボギー)  1982-1984

世良公則さん演じる「ボギー」は本人が心酔するハンフリー ボガードが由来だがボスからは「ゴルフのボギー」と呼ばれていました。1984(昭和59)年、法では裁けない悪に立ち向かう、と退職するもその直後、敵組織に刺されて死亡。

 

井川利三(トシさん) 1982-1986

地井武男さん演じる「トシさん」は、ゴリさんの後任のベテラン。ヤマさん亡き後は最終回までNo.2的な役割でした。

 

岩城令子(マミー) 1983-1986

長谷直美さん演じるロッキーの妻、元婦警。1983(昭和58)年、ロッキーの死後、志願して刑事になり、最終回まで活躍しました。

 

澤村誠(ブルース) 1983-1986

又野誠治さん演じる「ブルース」は父親が音楽家。チョーさんの教え子で、最終回まで活躍しました。

 

水木悠(マイコン) 1984-1986

石原良純さん演じる「マイコン」は一流大学卒のインテリで、三菱製パソコン(愛称“ホームズ3世”)を操作に導入してこのニックネームに。最終回まで活躍。

 

島津公一(デューク)  1985-1986

金田賢一さん演じる「デューク」は見た目と名前から公爵(Duke)と呼ばれました。スコッチの後継的なクールな二枚目で、1986(昭和61)年に警視庁の海外研修生となり卒業。

 

太宰準(DJ) 1986

西山浩司さん演じる「DJ」はイニシャルから。合流時にはボスが欠場中で、最終回でボスが復帰した際に最初で最後の対面となりました。

 

橘兵庫(警部) 1986

渡哲也さん演じる「警部」は病気欠場中のボスの代役。確かに適役でほかにいないのですが、こうなるともはや「太陽にほえろ!」なのか「西部警察」なのか訳がわからない事態に。

 


 

「太陽にほえろ!」の変遷

 

視聴率的な絶頂期は、1974(昭和49)から79年(昭和54)年頃。ジーパンが抜けてテキサス、ボン、ロッキーらと、スコッチが活躍した時期。最高視聴率は1979年のテキサス殉職〜スニーカー刑事登場辺りで、なんと40%超えでした。

 

その後、1980(昭和55)年に裏番組で「3年B組金八先生」(TBS)がスタート。さらに1981(昭和56)年に「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日)が初代タイガーマスク登場で超人気番組に。徐々に人気に陰りが見え始め、テーマ曲のアレンジが変わりリニューアルして、デンカ、ゴリさん、チョーさんらベテラン勢が次々と卒業となります。

 

1982(昭和57)から1984(昭和59)年にかけて、ジプシー、ドック、ラガーのアイドルトリオに、ボギーの加入で巻き返し、10周年を迎えました。ちなみに1982年、ラガー刑事の聞き込みシーンで新宿ロフトでデビュー当時のBOØWYのライブが映っているのは有名ですね。

 

1986(昭和61)年にはNo.2のヤマさんが卒業。そしてボス役の石原裕次郎さんが病気で長期欠場に。そしてもはや石原裕次郎さんの良好な体調での復帰が絶望的、ということがわかり、1986(昭和61)年11月、有終のボス復帰を待って足掛け14年4か月、計718回で終了となりました。


 

「太陽にほえろ!」とは何だったのか?

 

私が記憶してるのはやはり、テキサス、ボン、スニーカーとスコッチあたりです。でも、夕方に再放送が繰り返されていてマカロニやジーパン時代も観ていました。

逆に、「ワールドプロレスリング」が大人気になってからの1982年以降は、ほとんど記憶にありません。なのでベテラン勢の降板も、今回調べてビックリしました。意外に早く卒業してたんですね…。でも、ちょうどその頃までが最も、「太陽にほえろ!」らしかった時代だと感じます。

 

すこし遅れて放送された刑事ドラマ、石原プロ&テレビ朝日の「大都会」や「西部警察」と比べると、銃撃戦や爆破シーンは少なく、「青春ドラマ」「人間ドラマ」がメインの、正統派刑事ドラマでしたが…

 

これだけ長く続いたのは脚本や演出などの制作の確かさと、出演者の役者さん達のキャラクターを第一に、活かす番組作りが、「太陽にほえろ!」の魅力なのだと、こうしてまとめてみて改めて思います。

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