追悼 萩原健一さん「傷だらけの天使」〜1974 ショーケン主演 日本テレビ史 伝説のドラマ

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“ショーケン”こと萩原健一さんがお亡くなりなりました。2018年9月に公開した「傷だらけの天使」記事に「ショーケンと松田優作さん」パートを加筆して、追悼の意を表したいと思います。

 


 

いま、50代くらいの方達にとって1974年に日本テレビで放送された「傷だらけの天使」は、特別な、文字通り伝説のテレビドラマです。今回はリクエストにお応えして、本作の魅力を、私なりの視点でご紹介したいと思います。

ショーケンこと萩原健一さん、弟分の水谷豊さんの主演お2人はもちろん、共演者やゲストの役者さん達の人間力、深作欣二さんをはじめとする名だたる映画監督、市川森一さんなど気鋭の脚本家のクリエィティビティ、BIGIブランドによるファッション、井上堯之さんと大野克之さんによる音楽、衝撃的なオープニング

 

私はいわゆる直撃世代より少し下の年齢でリアルタイムでは観ていませんし、その後の再放送もなぜだか、タイミングが合わず観て来ませんでした。しかし、そんな私ですら、この作品の「特別さ」は、少し歳上の多くの人からイヤというほど聞かされて、知っているのです。

 

こんなに長く「語られる」ドラマは、この作品が筆頭でしょう。

 


 

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●「傷だらけの天使」とは

 

「傷だらけの天使」
1974年10月5日 – 1975年3月29日
毎週土曜 22:00 – 22:55
全26回
日本テレビ/東宝/渡辺企画

 

ショーケンこと萩原健一さん演じる小暮修(オサム)と、水谷豊さん演じる乾亨(アキラ)の2人は、学歴も身寄りも金もない底辺を生きる若者。

 

岸田今日子さん演じる綾部貴子が経営する探偵事務所の調査員として、捨て子の親探しから暴力団同士の抗争までさまざまな事件に関わり、上司の岸田森さん演じる辰巳五郎と対立したり西村晃さん演じる海津警部に追われたりしながら、思いもよらない事情に巻き込まれてひどい目に遭う、一話完結の「バディもの」です。

この作品が放送された1974年日本赤軍が海外でテロを起こし、小野田少尉が帰還、長嶋茂雄が現役引退、テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」がスタート、アントニオ猪木vsストロング小林、ガッツ石松が世界チャンピオンに…

オイルショック、ロッキード事件につながる金脈問題、ベトナム戦争、公害など、さまざまな繁栄の歪み、光と影のコントラストが強い印象があります。

 

修と亨の2人は、その日暮らしの貧乏生活で、成長することも報われることもなく日々を生きています。

行き詰まりながらもどこか気楽で楽しげで、当時の多くの若者がビルの屋上にあるペントハウス暮らしに憧れました(あのビルは代々木駅隣にある代々木会館ビルです)。

 

ウルトラセブン、ウルトラマンエースの社会派の作品で知られる脚本家の市川森一さんは当時、気鋭のシナリオライターでした。

放送スタート初期は視聴率も悪く、低予算とギリギリのスケジュールの中で、主演の萩原健一さんはプロデューサーの清水欣也さんと市川森一さんと、キャラクターや設定を話し合いながら固めていったそうです。

 

初期はひたすら2人が悪女のボス、綾部貴子に翻弄され反抗しても失敗、という展開でしたが視聴率が伸び悩み打ち切りの話もあったとか。テコ入れとして人情味溢れる展開が増え、伝説の最終回では19.9%の視聴率を記録。

放送当初から爆発的な人気、という訳ではなく、最終回の衝撃の余韻と、そして再放送を重ねて熱狂的な支持が盛り上がっていったのが実態のようです。


 

●オープニング秘話

 

かの有名な、後年、とんねるずもダウンタウンもパロったオープニングは、恩地日出夫さんが演出、撮影は木村大作キャメラマンの手によるもの。

当初タイトルバックは制作する予定がないところに、スポンサーの意向で急遽撮ることになり、撮影当日の午前中いっぱいで、「カメラに三脚を取り付ける余裕すらない」「どさくさ紛れ」で作られたのだとか。

水中メガネにヘッドホン、新聞紙のナフキンでトマト、リッツ、コンビーフ、魚肉ソーセージをむさぼり食べ、牛乳を飲むお行儀の悪いシーンが、なんともカッコいいのです。

 

https://www.nicovideo.jp/watch/sm24758574

 


 

●大物映画監督によるメガホン

 

恩地日出夫さん以外にも深作欣二さん、工藤栄一さん、神代辰巳さんといった名立たる映画監督がテレビドラマのメガホンを取る、というのは当時では考えられないことでした。

 

中でも「仁義なき戦い」の深作欣二さん監督回の第1回では、古美術屋の店主役で金子信雄さんが出演。山守親分そのまんまのキャラでショーケンに「このオジさんむかし広島でヤクザの親分だったから」と言われるシーンがあります。深作監督、木村キャメラマンの初タッグというのも凄いですね。

 

映画監督たちによる演出はテレビドラマ制作に不慣れで尺が足りなくなることも多く、その都度プロデューサーが脚本家に連絡したり、現場で脚本やセリフを追加したり、苦労も多かったそうですが、それが逆に細かなディテールを加えたり、生々しい空気感を出す事にもつながりました。

 


 

●豪華な俳優陣

 

本作に限らず、ですがこの頃のテレビドラマは思わぬ役者さんの若い頃が見られるのも面白さの一つです。

本作では小松政夫さん、下條アトムさん、池辺良さん、蟹江敬三さん、川口晶さん、桃井かおりさん、吉田日出子さん、関根恵子さん、松尾和子さん、真屋順子さん、高橋洋子さん、阿藤快さん、下川辰平さん、森本レオさん、坂上忍さん などなど数えきれないほどの豪華ゲストが多数参加…。当然ですが皆さん若いです。

 


 

●水谷豊さんの出世作

 

いまや大御所の水谷豊さんは子役として手塚治虫さん原作のテレビドラマ「バンパイヤ」で主演デビュー、しかしその後一度芸能界を引退し、本作がきっかけで役者として大ブレイクしました。

ポマードのリーゼントにスカジャン スタイルは当時でも「時代遅れ」でしたが、「兄貴ぃー」の口グセと共に、長くモノマネのネタになりました。


 

●ぶざまに生きる若者のカッコ悪さとカッコよさ

 

本作が長く記憶に残る「名作」とされるのは、予定調和のハッピーエンドとは真逆の、底辺を生きる若者のやるせなさと逞しさ、そして金やオンナに目がくらみ仲間も裏切ろうとする卑怯さ、弱さ、見ぐるしさ、そして世の中のオトナたちの汚さへの怒り、嫌悪感などの人間くささと、まだギリギリ発展途上の、汚なかった東京の街並みなど、いろいろと「むき出し」なところなのだと思います。

 

その点では、まるきり違う作品ですが「仁義なき戦い」シリーズにも通じるところがあるように思います。

 

さらに本作では、そこへ大野克之さん、井上堯之さんの手によるどこか哀しげでブルージーかつ軽快な音楽や、デザイナー菊池武夫さんのメンズBIGIのファッション、70年代初頭の時代の空気が入り混じり、なんとも言われぬ「ケミストリー」を起こしています。

短い、若さゆえの熱狂と、その祭りの終わりの寂しさを描いた青春映画でもあり。

これから観る人もいると思うので、最終回の衝撃については書かずにおきますね。

 

「かっこいいということはなんてかっこ悪いんだろう」とは早川義夫さんの作品ですが、本作は「かっこわるいということはなんてかっこいいんだろう」な作品なのだと思います。

 


 

●ショーケンと松田優作

 

「太陽にほえろ!」でのマカロニとジーパン、「傷だらけの天使」と「探偵物語」。何かと比較、並び称されることの多いお2人。

 

似ているようでまったく違うのですが、ほぼ同時期に、この時代の男のダンディズムを体現したという点で、代表格である事は間違いありません。ちなみに、萩原健一さんが1950(昭和25)年7月26日生まれ、松田優作さんが1949(昭和24)年9月21日生まれ、で1歳違い。私はずっとショーケンの方が歳上だと誤解していました。

 

この2人の直接の関係性は、特段仲が悪い!ということではなかったようで、むしろ一時期、2人でよく飲んだりしていて、どちらかというと松田優作氏の方がショーケンを意識して、ある種リスペクトもしていたようです。この2人ともう1人、原田芳雄さんという、これまたダンディズムに溢れた俳優がいるのですが、それらの関係はまた別の機会に・・・

 

わずか40歳で早逝した松田優作さんが“伝説“となり、ある種“神格化“したのに比べて、ショーケンは数々の事件を起こし、幾度も逮捕され、文字通り傷だらけで生き続けました。

 

どちらがどうということではありませんが、いつの世も生き続ける方がシンドくて、評価もされず損をするのは、なんともやるせない気分になります。

 

これは、石原裕次郎さん、美空ひばりさん、勝新太郎さんと、私が大好きな小林旭さんにも当てはまりますし、尾崎豊さんと吉川晃司さんも同様です。

 

そして私は、死に損なって生き続けてる方が好きなんですね。いずれも付き合うとメンドくさそうな人ばっかりですが。

 

やりにくいことは承知の上ですが、死んでから慌てて(安全に)、テキトーに評価するのではなく、生きている間に、(批判されても)評価すべきところはきちんと評価しないと、と、自戒を込めて、いつも思うのです。

 

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

コメント

  1. 大石良雄(本名) より:

    拝啓 サイトヘッド様には相も変わらず厳しい残暑の中、よろしくお願いいたします。
    *「水谷豊 本当の魅力溢れる実像が此処にありました」
     現在、水谷豊が主役を張る「相棒」ってぇ、、、どうも好きになれないのです。サイトヘッド様やご訪問の皆様はどう感じられるか解らないのですが、どうもあの「上から目線の慇懃無礼な敬語=おそらく事の原点オリジナルはPフォークの刑事転んだ?では無く、刑事コロンボ」だと思います。ひたすら自分では下からヨイショしている様でも他人から見れば、最初敬語で調子よく乗せられる」様な、、、自分的には「デビュー作バンパイヤ」が強烈な印象ですが実は熱中時代の方言先生や赤いシリーズのピアニスト役」なども強く印象に残っています。
    この「傷だらけの天使」は当時高校生でしたが、皆必ず視ておりましたね。印象として「全全全く格好良く無い」のですが、それが何か妙にリアリティ持っていた、、、、少なくても相棒なんかの突拍子も無い設定よりもずっと現実的でしたから。そして「何か汚らしい、、、不潔ってぇ言いますか、臭い」と言うか。妙に現実感が感じられたのです。ショーケン萩原健一は小学校時代に確か「テンプターズ?」で沢田研二のライバルの様な存在で、本当に格好良い男でした。このグループサウンズ=GS世代のスターたちは以後「作曲編曲ミュージシャン、または役者の道」に分離したわけですが、みな不思議と演技は巧かったと記憶しています。
    特にショーケン萩原健一は、ご本人自身が言っておられましたが、、、「大人になっても何故か寝小便が治らず苦労された」と。しかし後年「クラシック畑の某ヴァイオリニストとの熱愛」など、非常に気難しいクラシック畑の女を落とす等の魅力は、どうしてどうして寝小便などは忘れてしまう程だったのでしょうねぇ。後年最晩年、「傷だらけの天使再放送」にあたり、初めてコメント出演した際「テーマの画は、全て乾物屋から急遽仕入れたので渇き物しか無かった」と。当時あのシーンはだれでも一度は猿真似したはずで、懐かしい「リッツクラッカー=当時ヤマザキナビスコ 更には口と歯で器用に瓶牛乳を開けるのが、一番難しかった」と記憶しています。思えばひとつの時代の不思議なあだ花の様な作品にして、実は様々な大家や名匠が関わり、再放送されていく度に人気が高まっていったという不思議さ、それこそが「少し斜視的な目で世を見た作品 傷だらけの天使」の全てではなかったでしょうか。敬具

  2. wakataka より:

    水谷豊さんは「相棒」杉下右京のイメージが強かったので再放送に衝撃を受けました。
    あと岸田今日子さんと岸田森さんがいとこだったことにも。
    岸田森さんがカツラを取って土下座するシーンには笑い転げましたw

    • MIYA TERU より:

      コメント、ありがとうございます!水谷豊さん、「相棒」のイメージだと驚きますよね!私の世代だと「熱中時代」教師編、刑事編の印象が鮮烈です。岸田今日子さんと岸田森さん、従弟だったんですね!知りませんでした!岸田今日子さんはムーミン、岸田森さんは「怪奇大作戦」「帰ってきたウルトラマン」のイメージですね・・・

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