「引田天功」〜1968-1975 昭和の脱出王

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1970年代、日本テレビ 木曜日19:30から90分枠で放送されていた「木曜スペシャル」

折からのオカルト・超能力ブームの追い風に乗り、禍々しさと胡散臭さ満点、ロマンに溢れた数々の企画で、お茶の間を震撼させ続けていました。

ユリゲラー、UFO、ネッシー、ツチノコ…
そして当時の人気シリーズのひとつが、今回ご紹介する「引田天功 大脱出シリーズ」です!

 


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●引田天功(初代)とは?

 

いまでは2代目の「プリンセス・テンコー」しか知らない人が多数ですが、昭和世代なら、なんといっても初代です。

 

引田天功さんは「危険を買う男」の異名をとるイリュージョニスト。

この当時はまだその呼び名ではなく、ざっくり「マジシャン」と呼ばれていました。

 

彼の代名詞は「大脱出」。

それも「死のジェットコースター大脱出」「死の火煙塔大脱出」「死の水道管大脱出」「油地獄水面炎上大脱出」などなど、とにかくひたすら爆薬と炎上の大仕掛けが売り。

 

日本テレビ全面バックアップのもと毎回高視聴率を叩き出し、日本中に一大「脱出ブーム」を巻き起こしました。

 

 


●引田天功 大脱出シリーズ

 

計7本放送され、

①「海中大脱出」1968年10月

②「無人カー炎上大脱出」1969年3月

*1970年:大阪で行われた「日本万国博覧会EXPO’70」電力館水上劇場で会期中イリュージョンショーを行う

③「ジェットコースター大脱出」1973年3月

④「死の水道管大脱出」1973年10月

⑤「地獄の岩石落とし大脱出」1974年3月

⑥「死の火煙塔大脱出」1975年4月

⑦「油地獄・水面大炎上」1975年10月

でした。

 

脱出のアイデアは、尊敬する“脱出王”ハリー フーディーニ(現在でもアメリカで最も有名な奇術師なのだとか)の脱出劇にヒントを得たとされます。

舞台はたいてい、富士山がそびえる日本ランド遊園地。

 

空前絶後の無駄にスケールのデカい設備で、無駄に大爆発して、ひたすらに炎が燃え盛る中から、手錠をかけ、防火服でグルグル巻きにされ、時には逆さ吊りにされるといった絶体絶命の状態から生還する、やたらと大げさな“大脱出“が真骨頂。

 

しかも実況は「全日本プロレス中継」のファンタジー実況でおなじみの倉持隆夫アナウンサー!
「嵐のような大砂塵が巻き上がって参ります!」
などもっともらしい口調で大ボラを吹きまくりw、番組を盛り上げまくります。
「アゴの先端にヒット!」

 

そして大脱出、と言いながらほぼ毎回、手遅れな感じの焼けただれたBOXの中から、懸命なスタッフに引きずり出されるのがお約束でした。

 

それでも実際、練習中に何度も瀕死のアクシデントに見舞われ、本番でも爆発の音と熱、煙で相当のダメージを喰らう、文字通り「命懸け」のショーでした。

 


●急逝、そして二代目の誕生

 

引田天功さんは人気絶頂の最中、心筋梗塞など重度の心臓疾患に見舞われ、催眠術パフォーマーへの転身を図りますが、やがて入院を繰り返すようになります。

 

そして1977年2月に予定されていた第8段、「死のケーブルカー大脱出(空中ケーブル大脱出)」には出演できず、この時急遽、代役を務めたのが後の2代目引田天功、プリンセス・テンコーこと助手の朝風まりさんでした。

 

そして引田天功さんは復活の舞台として「ナイアガラ瀑布脱出」を構想するも果たせず、1979年大晦日に心臓病のため死去。45歳でした。

 

その訃報は、出演予定だった翌1980年元日のフジテレビ「初詣爆笑ヒットパレード」司会の三波伸介さんによってお茶の間に伝えられ、「引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした」「煙を吸い込んで、肺を痛めたのが早世につながった」などの都市伝説を生みました。

 

初代の死後、後援会の要請(後援会長は佐川急便創業者の佐川清さん)で1980年12月15日に朝風まりさんが「二代目引田天功」を襲名。

 

プリンセス・テンコーとして現在も世界中を股にかけて活躍しています。

 

そしてこの「大脱出」の手法は、後に日本テレビ、テリー伊藤、ビートたけしの「お笑いウルトラクイズ」に受け継がれていくのです!

 


 

なぜかこの一連の「引田天功大脱出シリーズ」はDVD化されず、二代目の活躍もあり記憶の片隅に埋れかかっていましたが…

40年の時を経てCS「ファミリー劇場」で特集され、その封印が解かれました。

引田天功 大脱出シリーズ | ファミリー劇場

 

 

いまのご時世、こんな番組をやろうものなら「専門家の指導の元、撮影しています」とか「危険はありません」などの無粋なテロップだらけにされ、それどころか、コンプライアンス的にとてもオンエアできないでしょうね。

 

ファンタジーとリアルの融合、エンタメの極地ともいえるイリュージョンショー…昭和のTVはなんでもありでいかがわしく、面白かったですね。

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