「昭和の民放 子ども番組」~1963- ロンパールーム、ピンポンパン、ポンキッキ

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今回は、1960年代から80年代ごろ放送されていた「昭和の民放 子ども番組」特集です。

 

いまでは「Eテレ」と呼称されるNHK教育テレビの「いないいないばぁ」「おかあさんといっしょ」の独壇場ですが、かつては民放でも日本テレビ、フジテレビがそれぞれ、ユニークな「子ども向け教育番組」を制作し、いずれも15年近い長寿番組となった歴史があります。

 

〈日本テレビ〉
●ロンパールーム
●おはよう!こどもショー
●カリキュラマシーン

 

〈フジテレビ〉
●ママとあそぼうピンポンパン
●ひらけ!ポンキッキ

 

なにせ幼少期の番組なので、どれがどれやら記憶が混ざってしまい…整理する意味で、それぞれをまとめてみました。

 


 

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「ロンパールーム」

1963年10月7日〜1979年9月28日
日本テレビ系列
月曜-土曜(のちに月曜-金曜に変更)

 

 

NHK「おかあさんといっしょ」(1959 昭和34年〜)から遅れること4年、日本テレビで1963(昭和38)年からスタートした幼児向け番組が、この「ロンパールーム」です。アメリカの同名教育番組をベースに制作された「フランチャイズ」番組。対象は幼児で、午前11:20からお昼までの30分の帯番組でした。

 

●2代目先生のうつみ宮土理さんが大人気となり、以降、3代目以降も「みどり」先生と呼ばれるほど。

 

●印象的なのはミツバチのキャラクター「にこちゃん」(良い子)「こまったちゃん」(悪い子)。

 

 

●そして「おやつの時間」という子どもたちが牛乳を飲むコーナー。「おやつって牛乳だけかよ!」と思いつつ、なんでだかとても美味しそうに見える謎。

 

●そして番組の最後、みどり先生が丸い銀ラメの鏡を持ち「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせて下さいな。そ~っと会わせて下さいな…」と呪文を唱え、子どもたちの名前を呼ぶコーナー。ありきたりな名前の子の勝利です。全国の視聴者から「ウチの子の名を呼んで」とリクエストが殺到する人気ぶりでした。

 

ロンパールーム

 

●“「『き』ではじまるしりとり」ゲームで出演者の幼児が「きん×ま」と答え、「きれいなものよ」と促され「きれいなきんた×」と答えたら「しばらくお待ちください」の画面となり、その子がクマのぬいぐるみに差し替えられていた“…という都市伝説は、あまりにも有名です。

 

 

「おはようこどもショー」

 

1965年11月8日〜1980年9月28日
日本テレビ系列
月曜-日曜 朝 7- 8時ごろ

 

 

●こちらは日本テレビが「目覚まし時計代わり」を狙いニュース、特撮、アニメ、人形劇など幼稚園児〜小学校低学年向けに盛りだくさんなメニューを取り揃えた、子どもバラエティ番組の草分けで、こちらも15年続きました。

 

●初期は「オバケのQ太郎」が大ヒットした石川進さんと、テレビ女優の草分けの楠トシエさんが進行役。マスコットキャラ「ロバくん」は、愛川欽也さんが担当して、ちびっこに大人気。

 

●後にお姉さんに海老名美どりさん、体操のおにいさんに峰竜太さんらが出演。あの2人はこれが縁で結婚したのです。

 

 

●主な番組内番組には

 

海外アニメ「スーパースリー」「ウッドペッカー」人形劇「トッポ ジージョ」

 

特撮「レッドマン」「行け!ゴッドマン」「行け! グリーンマン」「行け! 牛若小太郎」

 

なとがあります。

 

 

「カリキュラマシーン」

 

1974年4月1日〜1978年3月31日
日本テレビ系列

 

●アメリカの子ども教育番組「セサミストリート」とその源流コメディ番組「ラフ・イン」の関係性を再現して、伝説のコント番組「ゲバゲバ90分!」のテイストを取り込んだ異色の教育番組。

 

●宍戸錠さん、藤村俊二さん、常田富士男さん、吉田日出子さん、岡崎友紀さん、渡辺篤史さんやフォーリーブス、桜田淳子さんなど豪華な出演者が、かなりシニカルかつブラックなコントを展開していました。

 

●宮川泰さん作曲の「カリキュラマシーンのテーマ」NHK「チコちゃんに叱られる!」で使用されている、あの曲です。

 

カリキュラマシーン OP

 

●1978年4月からは「おはよう!こどもショー」内で再放送されていました。

 

 

「ママとあそぼう!ピンポンパン」

 

1966年10月3日〜1982年3月31日
フジテレビ系列

 

●なんといっても、カッパのキャラクター「カータン」と「シンペイちゃん」。そして3代目お姉さんの酒井ゆきえさん(1975-79年)が大人気。抜擢したのは当時のプロデューサー、横澤彪さんなのだそうです。

 

 

酒井ゆきえアナ伝説のNG映像!!

お兄さんは覚えてません(笑)

 

●番組のラスト、出演者の子供たちがスタジオセットの「おもちゃの木」の中に用意されたおもちゃを持ち帰るシーンは、全国のちびっこ垂涎の的でした。

 

●1971年発売の「ピンポンパン体操」阿久悠さん作詞、小林亜星さん作曲の名曲。「トラのプロレスラーはシマシマパンツ…」オリコンの童謡チャートで1位、売上260万枚の大ヒットを記録し、1972年 第14回日本レコード大賞童謡賞受賞という快挙。フジテレビの番組なのに。

 

ちなみにこの「ピンポンパン体操」、私が通っていたイトマンスイミングスクールの更衣室でうるさいほど大音量で流れていました。

 

ピンポンパン体操

 

 

「ひらけ!ポンキッキ」

 

1973年4月2日から1993年9月30日
フジテレビ系列
放送開始時は月曜- 金曜 14:00-、1975年より朝8時-

 

 

つい最近までリニューアルを繰り返し、安室奈美恵さんと鈴木蘭々さんのコンビ、爆チュー問題、そしていま話題のピエール瀧さんなどが出演するなどして続きましたが、ペギー葉山さんが出演していた1983年までが正統な「ひらけ!ポンキッキ」でしょう。

 

●こちらも「セサミストリート」の高視聴率に刺激を受けたフジテレビが当時としては異例の、「1本100万円以上」の制作費を投じて3歳~6歳児向け番組として放送を開始。

 

●なんといっても番組キャラクターのガチャピン、ムックはいまなおメジャーです(ちなみにこの2人は“5歳“なのだそうです)

 

●1976年、番組から生まれた子門真人さんの唄う「およげ!たいやきくん」が予約だけで50万枚、同年2月には視聴率22%を記録する社会現象に。現在までに500万枚以上を売上て「日本で最も売れたシングル」と言われます。

 

子門真人 およげ たいやきくん

 

●そのほか、なぎら健壱さんが唄う「いっぽんでもニンジン」のこいのこさんが唄う「パタパタママ」「はたらくくるま」「まるさんかくしかく」なども超メジャー。

 

 

●スタッフも錚々たるもので、スタート時のチーフ プロデューサーはなんと、当時フジテレビ報道番組部長の五社英雄さん。構成はまだ無名だった高田文夫さん。なんと「できるかな」でお馴染みのノッポさんこと高見映さんも構成作家として関わっていたのはトリビアです。

 

▼「ピンポンパン」「ポンキッキ」夢の共演(1978 昭和53年)

ピンポンパン&ひらけ!ポンキッキ 昭和53年 1978年

 


 

いかがでしょう。絶対(それもほぼ毎日)観ていたハズなのに、なんだか記憶が曖昧でどれがどれやら、な番組たち。改めて調べてみて「そうだったのか」な再発見が、たくさんありました。

 

そしてこれらの子ども向け教育番組が、日本テレビとフジテレビに集中しているのが不思議です。TBSはまだしも、テレビ朝日は設立時、「日本教育テレビ(NET)」だったのに…。

 

謎を残しつつ、この辺でご機嫌よう、さようなら!

 

コメント

  1. より:

    恭子おねえさんのとき、幼稚園だったはずでみていた。パジャママンの歌とかおほえていますがあまり恭子おねえさんの印象ありません。歌声を聞くと思い出しました。直子おねえさんの絵描き歌等で、他の子ども番組より歌に長けたピンポンパン恭子おねえさんによってメジャーなこども歌番組に成長。さらに、ゆきえおねえさんになってアップテンポな曲も小学生にも受け入れられ、大人気番組に。こからは、私の推察ですが、更なるバージョンアップと若者層をも取り組もうとして、ダンスの得意なナイスルックスのかおりおねえさんを起用した。この起用は、あとで考えれば絶対に間違っていなかった、と思うが視聴率の伸び悩みで局の方が動揺した。かおりおねえさんはあまり、おしゃべりは得意でなく?、地味な印象で声もゆきえおねえさんの目覚まし時計のような甲高い声の後の癒しの声は目立たなかった、ようにみえた。実際にはかおりおねえさんの歌声は声量は大きくはないが、子どもに心地よい声だと思う。ダンスもうまく、かわいい。かおりおねえさんは、ゆきえおねえさんの後、おはよう子どもショーが類似の粗悪品大場久美子を起用したことも不運だった。かおりおねえさんは、直子、恭子、ゆきえ各おねえさんが4年勤めたのに対し、2年で降板してしまった。局は、とにかく明るいけいこおねえさんで、子ども番組への回帰を図るが、私に言わせれば、これが最大の失敗。実は、かおりおねえさんのピンポンパンは、中高生、大学生にまで支持されていたのである。進化することをやめ、安易な回帰を図った番組は一気に人気ダウン。その後、わずか一年で終了、となりました。かおりおねえさんのスキルを全面に出して4年間サポートして いれば、かおりおねえさんももっと人気者になり、ピンポンパン自体ももっと続けていけた、さらにゆきえおねえさんや恭子おねえさんももっと仕事が増えた、と思います。日本にもっと歌と踊りが定着したかも。40年経っていますが、いまだに、あのかおりおねえさんの扱いは納得できません。けいこおねえさんは、明るく振る舞ってがんばったが、損な役回り?でも、最終回のあいさつができて株は上がりました。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!おねえさんの変遷を詳しく教えていただきありがとうございます!

  2. あっしゅ より:

    1972年に折角の梃入れを行ったこどもショーも3年後のポンキッキの平日朝への移動でその裏番組となってしまったこどもショーの視聴率が激減して1979年に平日版が、土日版も1980年までに消えてしまいました。
    こどもショー側もここで何らかの策を打っていれば平成時代まで持ち堪えていた可能性もありましたが、ポンキッキに移ってしまった視聴者が激増したことによる視聴率の著しい急降下と、当時の局内事情から朝の情報番組枠に衣替えしたため、リニューアルではなく番組終了のを局は選択しました。
    個人的にはリトル・ピンクの可愛さには見惚れてました笑

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!リトル・ピンク(笑)小学生版のピンクレディーみたいな子たちですね。「ピンクのいちご」・・・

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