「野球帽」の歴史〜70-80年代、昭和の小学生男子の定番

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今回は昭和の男子小学生の定番、「野球帽」について取り上げます。

今となっては既に存在しない球団もあり、レトロなデザインで復刻版が人気だったりします。

 

 

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なぜ昭和の男子小学生はみな、野球帽をかぶっていたのか?

 

その答えは、「ほかに選択肢がないから」。

 

親が「日射病(当時は熱中症をこう呼んでいた)防止に何か帽子をかぶらせたい」と考えたとき、当時は野球帽くらいしか選択肢がなく、「子供がかぶる帽子=野球帽」だったのです。

 

当時のプロスポーツは「プロ野球」一択。ほぼ毎日、巨人戦のナイターが夜のTVを独占し、チャンネル権を持つ父親の隣でファミリーも野球を観戦し、男子のやるスポーツもほぼ、少年野球だった時代です。

 

なので子ども本人がプロ野球、その球団が好きかどうかなどはまったく関係なく、「野球帽をかぶる or 帽子自体をかぶらない」のシンプルな二択だった気がします。

 

もちろん中には野球とは関係ないマークのキャップをかぶってた子もいましたが、圧倒的多数が「プロ野球球団の帽子」だったのです。

白メッシュで仮面?野球帽の思い出

 

野球帽の中にある白いメッシュを出して、目隠しにしたことがある人は多いでしょう。

 

この正体は、前立部分を補強するための「芯材」なのですが、メッシュなので薄ら透けて見え、ヘルメットのバイザー、戦隊モノのマスクのようになるのです。

 


●栄光!讀賣ジャイアンツ帽

中でも昭和の時代、最大勢力を誇ったのが「ジャイアンツ帽」。長嶋茂雄、王貞治らスーパースターがほぼ毎日、全国ネットのナイター中継で活躍していたので人気・知名度共に、他球団を“圧倒“していました。

 

黒地にオレンジのYGマークの帽子は見た目に暑苦しいため、黄色とか白タイプもありましたが、選手がかぶっているのを見たことがないため不人気でした。

●伝統!阪神タイガース帽

 

巨人と人気を分け合うのが、伝統の阪神タイガース。当時は「巨人がキライな人はこれをかぶる、アンチ巨人代表」といった趣もありました。

長く黒に黄色のツバに、白いTと黄色のHが伝統でしたが、「バース、掛布、岡田でバックスクリーン3連発」した1985(昭和60)年頃は、白に黒のストライプタイプでした。

●ヤング&フレッシュ!西武ライオンズ帽

 

西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズと変遷して1979(昭和54)年に福岡から埼玉所沢に本拠地を移し、新生「西武ライオンズ」となったライオンズ。手塚治虫さんの「レオ」がキャラクターになりました。

 

若くてカッコいいフレッシュなチームカラーが大人気を博し、ミーハーな巨人帽勢は一斉に「レオ帽」に移行しました。

 

●青い!中日ドラゴンズ帽

 

ブルーカラーで中京地区を中心に普及した「ドラゴンズ帽」。1987年、星野仙一監督時代にドジャースをモチーフとした「D」一文字になるまでは、長く「CD」の二文字でした。

 

「ドラえもんが好きだから」という理由でかぶってる子もいました。

 

●シンプル!横浜大洋ホエールズ帽

 

現「横浜DeNAベイスターズ」。

1974(昭和49)年、カラーテレビを意識したオレンジとグリーンだったユニホームが、1978(昭和53)年に本拠地が川崎から横浜へ移転し球団名が「横浜大洋ホエールズ」になったタイミングで紺一色に。

帽子は紺色でマークは白で「W」一文字でしたが、1982(昭和57)年からフロントに「W」と刺繍された台が貼り付けられた物に変更され、1992(平成4)年まで長くこの帽子が使用されました。

 

ホエールズだから「W」なのですね。わざわざこの帽子をかぶる子は、地元横浜以外ではなかなかレアでした。

 

●ロゴがユニーク!ヤクルトスワローズ帽

 

1974(昭和49)年、荒川博監督就任から帽子は赤いツバに「Y」と「S」。1979(昭和54)年にアトランタブレーブスをモチーフとした青一色のデザインになりました。現在は白一色の「YS」に、赤が使われていました。

1978(昭和53)年には広岡達朗監督がチーム初の日本一に導き、この帽子をかぶる子が増えました。

 

●赤ヘル!広島カープ帽

 

1975(昭和50)年に球団初の優勝を果たして以降、クリーブランドインディアンズを模した「赤ヘル軍団」として人気に。帽子は赤字に青い「C」文字でした。

 

シンシナティレッズをモチーフとした赤字に白「C」のイメージが強いですが、それは山本浩二監督が就任した1989(平成元)年からなんですね。

 

地元以外ではドラゴンズの青色同様、「赤色が好き」を理由にかぶる子が多かった気がします。

 

●強豪!阪急ブレーブス帽

 

現「オリックスバファローズ」。

 

1975年から78年まで4連覇を達成した上田利治監督率いるブレーブスは、日本シリーズの常連で「ジャイアンツの宿敵」イメージの強豪チームでした。

黒地に赤ツバ、赤い「B」文字をかぶる子は「ホントに野球好き」のイメージでした。

 

●デザイン性高い!近鉄バファローズ帽

 

現「オリックスバファローズ」。

 

地色が赤と白のセパレート、サイドに紺のラインが入り、紺色のロゴと猛牛マークという「トリコロール帽」は、その独創的なデザイン性で人気がありました(モントリオールエクスポズを参考にしたそうです)。猛牛マークは岡本太郎さんのデザインで、1959(昭和34)年に登場しました。

名将 西本幸雄監督の下で1979、1980年にリーグ2連覇、広島との日本シリーズは記憶に残ります。

 

●星マーク!ロッテオリオンズ帽

 

現「千葉ロッテマリーンズ」。

 

1973(昭和48)年の金田正一監督就任からLOと星マークに、赤の縁取りが入る帽子となりました。

1977(昭和52)年に川崎を本拠地としますがこの時代、チームは長く低迷していました。そのため、この帽子をかぶった子は相当レアでした。

 

●いぶし銀!南海ホークス帽

 

現「福岡ソフトバンクホークス」。

 

1988年の福岡移転までのホークスもまた、長く低迷を続けた時代。

 

1974(昭和49)年よりパイレーツ+オークランドアスレチックスをモチーフにユニホームを変更し、帽子はグリーンに白い「N」「H」の刺繍が入っていました。

この帽子をかぶる子も関西エリア以外では当時は相当、レアでした。

 

●企業ロゴ入り!日本ハムファイターズ帽

 

現「北海道日本ハムファイターズ」。

 

1973(昭和48)年に後楽園球場をホームグランドとし、大沢啓二監督時代の1981(昭和56)年にリーグ制覇を成し遂げて巨人と「同一ホームグラウンド日本シリーズ」を戦った日ハム。

青地に赤ツバ、そしてフロントに日ハムのロゴ入りの帽子をかぶっている子どもはこれまたレアで、“ガチ勢“のみだったと思います。

 


 

こうして見ると、「当時の同級生のあの子がこの帽子かぶっていたな」とか「なぜあの子はこの球団の帽子だったんだろう?」とか懐かしいですね。思えば「なんでこの帽子なの?」とか聞いたことなかったなぁ。

 

あなたはどの帽子派でしたか?

 

 

 

コメント

  1. やーしー より:

    私、東北育ちの1969生まれのアラフィフ。
    常勝上田監督時代の影響をモロに受けて、阪急ブレーブスの帽子を被っていました。
    もちろん「H」のやつ。

    またこの頃、球団のロゴやマスコットを象ったバッジを帽子に付けるのが流行っていました。
    ズッシリと重ければ重いほど「偉い」とされていました。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。阪急帽!まさに通の方ですね(笑)
      そしてバッジ、思い出しました。そうでしたね!
      金属性で安全ピンの付いたヤツ・・・横に勲章のようにズラリと付けてる子がたくさんいましたよね(笑)

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