「格闘技世界一決定戦」②〜1976 アントニオ猪木vsモハメド アリ【前編】知られざる前夜祭での“衝突” 〜 猪木の「勝った方がギャラ総取り」発言に込められた怒りとは?


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アントニオ猪木「格闘技世界一決定戦」シリーズ、第②回は1976(昭和51)年、アントニオ猪木vsモハメド アリ戦です。

あまりにも有名な、1976年 アントニオ猪木vsモハメド アリの「格闘技 世界一決定戦」。

前編ではあまり語られることのない、試合の3日前にテレビ生放送された前夜祭番組における「猪木の“買った方がギャラ総取り”の爆弾発言」をご紹介します。

 

この試合はいまでこそ「真剣勝負故の凡戦」と評価されるようになりましたが…当時は猪木がフルラウンド寝たまま蹴り続ける、派手な見せ場のない「引き分け」に終わったことで試合後、世界中から「世紀の茶番劇」「退屈」「猪木は臆病者」と猛烈なバッシングを受けたことは、皆さんご存知の通り。

 

さらには、その原因は「アリ側が猪木に突きつけた、がんじがらめのルールにあった」という事も、ご存知の方は多いと思います。

 

後年では「実はそれはあくまで猪木側の主張、言い訳で、あの試合にそんなルール問題はなかったのだ」という主張まで繰り出されているようですが、その点について「試合3日前の生放送で猪木が爆弾発言をしていて、それによりアリ側とさらに大揉めに揉めた」という事実を知らない人が多いからでは?と思います。

 


 

●そもそも猪木vsアリとは何だったのか?

 

この一戦は、単なる「プロレスvsプロボクシング」ではありません。

「世界中が“ホンモノ”“最強”と認める、プロボクシング世界チャンピオンのモハメド アリ=メジャー」

「プロレスは“インチキ”で“八百長”、ホントは弱いんでしょ、と嘲笑され、プロレス界の中でにおいてもいつまでもジャイアント馬場より格下扱いされることにガマンならなかったアントニオ猪木=マイナー」

の対決です。

 

この当時のアリは、現役バリバリのプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン。なかでもアリは黒人解放やベトナム反戦運動などでも大きな影響力を持つセレブリティであり、「グレイテスト」な英雄。もはやボクサーやアスリートなどの枠を超えた、“別格”の存在でした。

 

そんなアリが、どこの馬の骨ともわからない東洋人の、しかも“フェイク”なプロレスラーと試合をする、というのは誰もが信じられない、荒唐無稽でジョークのような出来事。良識あるほとんどの大人たちは「実現できっこない=アリが受けるわけない」と断言していました。

 

なぜならアリは一晩で数十億(あの当時で)を動かせる“ホンモノ”であり、

猪木は日本でこそ人気はあるが世界的には無名で、プロレスラーというだけで間違いなく“ニセモノ”だからです。

 

それが何故、実現したのかいまもって不思議で仕方ないのですが、とにかくアントニオ猪木の「世界一強い男(とされる男)と戦って勝って、世間に“ホンモノ”と認められたい」というバカみたいに純粋な想いが、すべての原動力でした。

 

プロレスの世界においては、当時の世界的な権威であるNWA世界ヘビー級チャンピオンの招聘権も豪華なスターガイジンのほとんどもライバルのジャイアント馬場に独占されており、猪木はどうあがいても傍流。「カールゴッチ直伝のストロングスタイル」「タイガー ジェット シンとの血で血を洗う抗争」で人気を博しても、世界のプロレス界と世間の目は「猪木は馬場より格下」でした。

 

そんな時、アリが「自分に勝ったら100万ドルくれてやる、東洋人で俺にチャレンジしてくる勇気のあるヤツはいないか」と発言した、と猪木は耳にします。

 

当時のアントニオ猪木は新日本プロレス旗揚げ3年目。前年から「ワールドプロレスリング」中継をスタートしたNET(現テレビ朝日)が、アリの防衛戦を独占放送していたという縁もあり、猪木は「応戦状」をしたため、ニューヨークのアンジェロ ダンディ総マネージャーとプロモーターのドン キング宛に送りつけました。

 

その文面は以下の通り。

「あなたが世界最強の男を自負しているなら、格闘技世界一を決しようではないか。100万ドルに900万ドルをプラスして、1000万ドル(当時のレートで30億円!)の賞金を用意する。試合形式はベアナックルの殴り合いでどうだ。日時と場所はそちらに任せる」

どうですかこの慇懃無礼ブリ。

 

これを受けてアリは1975年6月9日、マレーシアでの防衛戦の直前に東京に立ち寄り、高輪プリンスホテルで記者会見を開きます。新日本プロレスはなんとこの場に杉田渉外部長を使いに送り込み、改めて応戦状を手渡し!コレに対しアリは「猪木という男は知らなかった。オレはスモウレスラーと戦おうと思っていたが、次の相手はアントニオ猪木だ」と発言。なんと当初、大相撲の高見山とアリを戦わせる企画があった、とも言われているのです。

 

ともかく、アリ本人が(行きがかり上とはいえ)受諾したことで一気にアリvs猪木戦が実現の機運が高まりました。

 


 

●アリはプロレス好き?

 

しかしそれはあくまで野次馬的な関心。アリの母国アメリカはおろか、日本のマスコミですら「騒いではみたものの、到底実現不可能でしょ」と冷ややかな視線が浴びせられていました。さらにはアリの衛星放送権を持つマネージャーの1人から「アメリカのボクシング コミッションの警告で、アリはプロレスラーとは現役中はおろか、引退後であっても戦うことは許されない」“対戦拒否”を通告され、あっさりと暗礁に乗り上げます。

 

しかし猪木陣営は交渉のテーブルにさえ付かないアリ陣営に対して「アリは逃げるのか!」と、アメリカやヨーロッパのマスコミにリリースを出して、しつこく対戦を迫ります。

 

アリがほかのボクサーと違っていたのは「アリがプロレス好きだった」という点です。これが猪木には幸運でした。アリが得意とするビッグマウス、試合を盛り上げるためのマシンガン口撃のスタイルはプロレスを手本にしたとも言われ、アリは誰よりもこの猪木戦に興味を示し、取り巻きの反対意見を抑え、前向きでした。もっとも、この時点でアリはプロレスに理解を示すが故に「大金がもらえるなら、ハデにエキシビションで盛り上げてやろう」くらいに考えていたのかもしれません。

 


 

●NY調印式、巨額のギャラ確定!

 

1976(昭和51)年3月25日。ニューヨークのプラザ ホテルで調印式が行われ、紋付袴姿の猪木は初めてアリと相対します。

「ペリカン野郎」と罵るアリに対し、猪木は終始、泰然自若とした態度で臨み、「風林火山」などの言葉を用いてニューヨークタイムズをはじめとする海外マスコミに「静かなる禅の達人」などと評されました。後に猪木は、この時について「アリは相手を挑発して自身を鼓舞しているが、内心は怖いんだろう」と逆に冷静になれた、と語っています。

アリは同行した当時の猪木夫人、倍賞美津子さんの美しさにメロメロ。

 

そんな裏側では、アリ側の主張する1,000万ドル、猪木側の提示する600万ドルを巡り、絶賛交渉中でした。結局、アリのギャランティは計610万ドル(当時のレートで約18億3千万円。試合前に180万ドル、試合後に120万ドル、クローズドサーキット:有料衛星上映の収入から310万ドル)。猪木のギャランティは350万ドル(同10億5千万円)という、超弩級スケールで決着します。

 

この時点(3月28日)で合意されたルールがアメリカの新聞に掲載されていますが、

「3分15ラウンド、1分のインターバル」

という、当時のボクシング式試合形式のみでした。

 

その後、試合の1か月前、5月26日に明らかにされた“公式ルール”では
「頭または肩によるバッティングは反則」
とあります。

 

ボクシング側からすると当たり前の条項ですが、拡大解釈して「タックル禁止」条項と捉えると、すでにプロレス的には致命的とも思えます。

 


 

●アリ来日!“リアルファイト“を巡る攻防

 

6月16日、モハメド アリが来日。羽田空港には2,000人が押し寄せ、大フィーバーとなります。

通訳のケン田島氏によれば、アリは来日するや「試合のリハーサルはいつやるんだ」と尋ねた、と言います。田島氏が「リハーサルなんてやらない。猪木はリアルファイトのつもりだ」と伝えると、アリ陣営は大騒ぎとなります。

 

「来日前はエキシビションと伝えておいて、来日してからリアルファイトだと伝えた猪木は卑怯だ」と批判する向きもありますが…おそらくアリ側は当然エキシビションだとアタマから信じてタカを括っていた、のだと思います。当時(今でもですが)、プロレスとはそういうもの、というのが常識だからです。

 

また、「事前に猪木側からブック(台本)が示された」とする説もありますが…そのブックの内容は「試合中にリング下に落ちた猪木が刃物で自害しようとして、アリがそれを止める。その隙をついて猪木が丸め込む」…あまりにバカバカしく、猪木側というより日本人が作ったものとは思えない、リメンバーパールハーバーのだまし討ちの再現です。これはやり取りの中でアリ側もしくはアメリカのプロレス サイドの誰かが作成したものでしょう。

 

当時のマスコミ、海外メディアからアリ本人にも「これはリアルファイトなのか?八百長ではないのか?」という直球の質問がたびたびぶつけられており、「610万ドルも貰ってインチキはしない。オレは宗教人だ、世界のシンボルなんだ」と否定しています。

 

その一方で「イノキは本気でやるのか?アリのパンチをモロに食らったら死なせかねないぞ」とアリ側は猪木サイドに確認しますが、猪木はあくまでもリアルファイトでやる、の一点張り。

 

日を追うごとにアリ側はナーバスになり、6月20日、後楽園ホールでの有料公開スパーリングを見て、さらに態度を硬化させます。猪木のスパーリングがあまりにシリアスで、その技術と強さは、まるでインチキとは思えなかったからです。このスパーリングでは後の代名詞となる必殺技、延髄斬りの原型が初公開されています。

 

▲後楽園ホールでの公開スパーリング。興奮したアリが猪木に詰め寄り騒然となる。猪木の後ろに佐山サトル、前面には上半身裸の藤原喜明の姿が。

 

表向きはアリは猪木を「醜い、卑怯な技を使う男だ、日本人は好きだが唯一キライなのがイノキだ」などといつも通り激しく口撃して沸かせますが、連日、水面下ではルールを巡る激しい交渉が続いていました。

 

当時の様子を6月23日の日刊スポーツは「午前6時からのルールミーティングが2時間経った時、猪木の代理人 新間寿 新日本プロレス営業本部長は椅子を蹴って立ち上がり“ルール問題をしつこく言うな!猪木は手錠をかけられ、ロープで足を縛られない限りアリと戦ってみせる!自分に有利なルールにこだわるのがアリの本心かい?アラーの神が泣くぞ!“ その剣幕には雁首そろえたアリ側の8人の交渉人も毒気を抜かれた」とあります。

▲「ルール問題」を報じる当時の東京スポーツ

 

ルール交渉はいよいよ大詰めを迎え、早朝と深夜に何度も繰り返されました。その都度、アリ側は「要求を飲まなければアリは試合をキャンセルして帰国する」という切り札をチラつかせます。そもそもアリにはこの試合を受けるメリットはギャランティしかなく、万一怪我でもされたらアリの商品価値とその後の興行に影響大ですので、当然の主張です。

 

そして試合の3日前、6月23日にマスコミ向けに“最終ルール”が発表され、以下の事項が”反則”とされました。

A こぶしでベルトの下を打つこと

B ヒジ、ヒザで打つこと

C 急所を打つこと

D 頭で打つこと

E 指またはオープングローブで目を打つこと

F レフェリーがブレイクを命じたあと攻撃すること

G 首のうしろ、ジン臓を打つこと

H 手の平で打つのを除くプロレスで使うすべてのチョップ

I ノドを打つこと

これらは(Hのチョップ禁止を除けば)一見、常識的な条項です。そのほか、「競技者への制限」も常識的なものです。

 

・ボクサーは立っているときはボクシングルール。寝技でもパンチ使用可能。レスリングスタイルへの変更は自由。

・レスラーは上記反則以外はプロレスルールに従う。両者とも立っているときはパンチOK。ホールドしているときはパンチ禁止だが、腕で打つことはできる。

・ロープに触れたらブレイク、リング中央へ戻る。

・ロープ外に出たときは20カウント内にリング内に戻らなければならない。

・パンチでダウンしたときは8カウントを数え、その間の攻撃は禁止。

ギブアップを迫る場合は、相手に意思表示をするチャンスを与えねばならない。

 

問題は以下の一文です。

 

・プロレスで通常認められているキックは禁止する。ただし、ヒザをついたり、しゃがんでいる状態のときは、足または足の甲、側を使って、相手を倒す足払いは認められる。

 

要は、ドロップキック、廻し蹴り、ストンピング、延髄斬りを含むハイキックも使えません。以降は表現がややこしいですが、カニばさみ、足払いは使ってもよい、という意味でしょう。捕まえてしまえば・・・、ではありますがロープ際ではすぐにブレイクされますし、さらにその前の過程で打撃で向き合う上で、しかも相手は一撃必殺のパンチを持つアリだけに、レスラー猪木の不利は否めません。さらには、”反則”とされる「D 頭で打つこと」は拡大解釈すればタックルができないことになりますし、「G 首の後ろを打つこと」はバックドロップなど投げ技を封じられることを意味します。

 

とにかく、アリ戦を実現しなければならない猪木側は、アリ側の要求を黙って飲むしかない状況でした。

 


 

●前夜祭生中継で猪木の怒りが爆発

 

「今世紀最大の闘い! 今夜対決アントニオ猪木対モハメッド アリ前夜祭実況生中継!! 」この番組は、テレビ朝日で1976年6月23日に放送されました。3日後の6月26日に行われる「アントニオ猪木対モハメド アリ」戦の調印式の模様を、新宿 京王プラザホテルから生中継する特番です。

私はこの前夜祭TV番組の存在は、プロレスマニアの友人からVHSのビデオテープをもらって見るまで、知りませんでした。この番組の中で、猪木自身がルール問題について、爆弾発言しているのです。

 

総合司会は高島忠夫氏。猪木は石坂浩二氏デザインの不死鳥をあしらったガウンを着て登場。対するアリは私服です。セレモニーとして、岡田奈々、林寛子、小林麻美らによる歌や、猪木・アリ両陣営の応援合戦が行われ、猪木とアリのこれまでの試合のVTRや、来日後のアリの行動が紹介されました。番組が和やかなムードで続く中、アリは時折猪木に殴りかかるジェスチャーを見せたり、そのエンターテナーぶりを遺憾なく発揮します。対する猪木はシリアスなムード。

 

そして番組終盤、いよいよ公開調印式、となった時に、事件が起こります。猪木はここで初めて、マイクを手に静かに、語り始めます。

 

「皆さまに、これまでの経過をご報告申し上げます。

3月25日に調印いたしましたが、それ以降、公の場で非常に侮辱的な罵倒を浴びましたが、

私自身、ひとこともそれに反論せず、ずっと耐えてまいりました。

それから、今回の契約について、またルールについて、すべてアリ側の条件を飲んでまいりました。

なぜか?この試合を絶対に実現させたいためで、ずっと耐えに耐えてきたわけです。

 

みなさんにご紹介しましょう。アリ側の汚い戦術。裏側で何を言っているのか。

ドロップキックは使わないでくれ。あるいは、空手チョップ使わないでくれ。寝てから殴らないでくれ。

再三のルール変更にも、私はずっと耐えてきたわけです。

 

しかし、それにも限界があります。

私は、手と足を縛られて闘うのと同じような条件で、なおかつ闘うわけです。

アリが本当に偉大なボクサーあるならば、公の場でアリに申し上げたい。

すべての興行収益をかけて、勝ったものがそれを獲ろうじゃないか。

それだけの覚悟で私はこの試合に臨みます。

アリ側もそれを望むならば、その契約書を今、ここで交わしてもかまいません」

 

淡々と、しかし険しい表情で淀みなく猪木はこの主張を、いたって静かに言い放ちました。そして予め用意しておいた、「勝者がギャラ総取り」の契約書をアリに渡し、この場でサインしろ、と迫ります。

 

猪木のスピーチをケン田島氏の同時通訳により把握したアリは怒り狂い、壇上で大暴れして取り巻きに取り抑えされます。これはいつものアリのポーズでしょうが、その表情は蒼白で、明らかにこれまでとは違います。結局、アリはその場の空気に押され、この契約書にサインしてしまいました。アリは興奮状態で「いますぐやってやるぞ」と猪木を挑発。猪木はそれを尻目に、再びマイクを持ちました。

 

「アリが今日になって、”この試合は真剣だ”。当たり前の話です。最初から真剣です。

それをここにきて、”オレは真剣だ、この試合は真剣だ、やめるなら今だ”。

私は今まで、常に真剣にやってきました。今まで、じゃあアリの試合は嘘だったのか。

そういうことで、とにかく26日、私は先ほど申した通り全力をリングに叩きつける。

勝ち負け、勝負は時の運です。しかし、必ず勝てると確信を持っております。

どうもありがとうございました!」

 

番組はここで終了。しかし、舞台裏は大騒ぎでした。この予定にないハプニングに対して、アリ側は猪木側に猛抗議します。

 

アリ陣営にはボクシング界でドン キングと並ぶプロモーター、ボブ アラム氏がいました(アラム氏は現在でもメイウェザーやパッキャオ、村田諒太のプロモーターとして世界的に知られています)。そしてもう1人、アリが誰よりも尊敬するハーバード モハメッド氏がいました。ハーバード氏はアリの信奉するブラック ムスリム(ネーション オブ イスラム)の指導者、イライージャ モハメッドの息子です。怒り心頭、あわや試合をキャンセルして帰国しようとしたアリ側もこのハーバード氏の仲介により、不意打ちでアリがサインさせられた”勝者総取り”の契約書を取り消すことで矛を収めます。

 

そして結局、ルールが覆ることはなく、試合へと突き進んでいくのでした。

 

猪木としては、結果的にそうならなかったとしても、これまでのアリ側の要求について明らかにしておきたかったのでしょう。実現に至ってもなお「プロレスはインチキだ、猪木がアリに勝てるわけがない、売名行為のカネ目当てだ」とする世間に対して「オレは正々堂々と戦って、勝つ自信がある」と宣言したわけです。

 

「ルール問題なんてなかった、それは猪木側の後付けの言い訳だ」とする後年の主張は、この事実を知らない、もしくは猪木とプロレスを不当に貶めようとする、なんとかして「猪木アリ戦はインチキ」としたい人による主張に過ぎません。

 

結果として、猪木とアリはなんの段取りも取り決めもまとまらないまま、険悪で共に追い詰められた状態でリングに上がったのです。

 

>次回、③中編に続きます!

 


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