「虎ハンター」小林邦昭~初代タイガーマスクとの抗争、2つの維新軍

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初代タイガーマスクのライバル、「虎ハンター」小林邦昭。

ダイナマイトキッドが“最強のライバル“だとすると、小林邦昭さんは初代タイガーマスクの“最大の難敵“。80年代の新日本プロレス黄金時代に赤いパンタロンを翻し、タイガーのマスクをビリビリに引き裂く「虎ハンター」として大活躍しました。

 

人気絶頂のスーパーヒーローに酷いことをする「悪役」なのに、当時小学生だった私の周囲には“小林邦昭ファン“がたくさんいて、体制に逆らう「アンチヒーロー」として瞬間風速ではタイガーマスクを上回る支持を集めていた印象があります。

 

80年代の新日本プロレスブームは「藤波辰巳vs長州力と初代タイガーマスクvs小林邦昭」の時代、と言っても過言ではないかもしれません。

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入門〜デビュー

 

小林邦昭さんは1956(昭和31)年、長野県生まれ。アントニオ猪木に憧れ、高校を中退して旗揚げまもない新日本プロレスへ入門。その時、わずか16歳でした。

 

小林さんの1週間後に藤原喜明さんが、さらに1年後に吉田光雄(長州力)さんが入団。2人はそれぞれ24歳、22歳と「かなり歳上の後輩」ということになります。

 

特に格闘技の経験もなかった小林さんは“鬼軍曹“山本小鉄さんに地獄のシゴキを受け、あまりのハードさに毎晩多摩川で自殺することを考えるほどだったとか。また、身長こそ180センチあるものの体重が70㎏に満たなかったため、「毎食ドンブリ10杯」のノルマが課せられていたそうです。

 

プロデビューは1973(昭和48)年2月1日の栗栖正伸戦…が公式なプロフィールですが、ご本人曰く、その前にテスト試合として、グラン浜田戦を経験しているのだとか。

 

旗揚げ2年目の1974(昭和49)年4月。日本プロレスから坂口征二さんが合流し、NET(現テレビ朝日)で毎週金曜午後8時からの「ワールドプロレスリング」の放送もスタート。坂口と共に木村たかし(木村健吾)さん、小沢正志(キラーカーン)さんも入団しました。

 

“天才“佐山サトルとの出逢い

 

そしてその翌年。山口県下関から17歳の少年が入門してきます。それが後のタイガーマスク、佐山サトルさんでした。

 

佐山さんは1976(昭和51)年5月、後楽園ホールで魁勝司(北沢幹之)戦でデビュー。小林邦昭さんは当時の佐山サトルさんを「背は小さいが何をやらせてもすぐに覚える、腕力もスパーリングも強い、天才」と評します。

 

これ以降、2人は前座戦線で切磋琢磨していきますが、先に頭角を表したのは後輩の佐山さんでした。

 

佐山さんは1977(昭和52)年11月、梶原一騎さん主催の「格闘技大戦争」で全米プロカラテ、ミドル級1位のマーク コステロと両者ボクシング グローブ着用、統一ルールの下で対戦するという抜擢を受け、敗れはしたものの1978年、メキシコ遠征へと飛び立ちました。

 

メキシコ遠征

 

小林邦昭さんはそれから遅れること2年、ようやく1980(昭和55)年、入門から7年目ににメキシコへ遠征します。現地ではリンピオ(ヒール)として活躍し、その後、1982年にアメリカ ロスアンゼルスのNWAエリアに転戦し、“キッド・コビー“のリングネームで活動します。

ちょうどその頃、日本ではタイガーマスクがデビューし、“四次元殺法“で大ブームを巻き起こしていました。

 

帰国〜虎ハンターへ

 

小林邦昭さんの帰国は1982(昭和57)年10月。帰国初戦の10月8日後楽園ホールでの「闘魂シリーズ」開幕戦で、大事件が起こります。それは、同時期にメキシコ遠征から帰国した長州力さんが同門の藤波辰巳さんに反乱を起こす“噛ませ犬“事件でした。

 

帰国して初めてタイガーマスクの試合を見てそのスゴさに衝撃を受けていた小林さんは、この長州力さんの捨て身の行動に触発されます。

 

「なんとかしてインパクトを残さないと、日本で自分の居場所はない」そう決意した小林さんは、10月22日、広島県立体育館でのレス ソントン戦を控えたタイガーマスクを襲撃。

 

翌週にタイガーとのタイトルマッチを控えていた小林さんのデモンストレーションですが、いまでは見慣れたこのやり方も当時は異例。小林さんは「誰かに指示されたのではなく、自分で考えてやった」と後に明かしています。

 

こうして迎えた10月26日、大阪府立体育会館でのタイガーマスクvs小林邦昭の初対決は、のっけから緊張感に包まれました。

 

この試合中、小林邦昭さんはタイガーのマスクに手をかけ、ビリビリに引き裂く暴挙。場内は悲鳴と歓声に包まれ「汚いことをするな」という非難のヤジと共に、「タイガーの素顔が見れるかも」という異様な興奮状態に包まれたことを、TVで観ていた私もよく覚えています。

 

ここに「虎ハンター」小林邦昭が誕生。以降、両者の対決は激しさを増し、長州力さん、マサ斎藤さんらと「革命軍(後の維新軍団)を結成した小林邦昭さんは、一気に新日本プロレスの主役グループに躍り出ました。

 

当時珍しかった赤いマーシャルアーツのパンタロン姿で、敵意剥き出しにタイガーに襲いかかる小林邦昭さんに対し、タイガーマスクもほかの試合とは明らかにレベルの違う危険な打撃技で応酬。

 

実は両者のシングルマッチは9ヶ月間、計7試合しか行われていません。

しかしながら、40年以上が経過した今なお、多くの人の記憶に残るインパクトを残しました。

 

1984年8月4日、蔵前での寺西勇戦を最後にタイガーマスクが電撃引退。

 

小林邦昭さんは維新軍団のメンバーと新日本を離脱し「ジャパンプロレス」に参加、全日本プロレスに参戦しました。

 

テーマ曲

 

「The Room Part 1」

1981年6月に発売されたリック・ウェイクマンのアルバム「1984」に収録されている楽曲です。

(新日本 059) 小林邦昭 のテーマ

 

必殺技

 

フィッシャーマンズ・スープレックス(網打ち原爆固め)。

ブレーンバスターの体制から相手の足をロックし、叩きつけた後そのままピンフォールを狙う技です。

帰国当初は「変形ブロックバスター(ホールド)」とも言われていましたが、「古舘伊知郎アナウンサーが命名してくれた」(小林さん談)とのことです。

 

 

ジャパンプロレス所属 全日プロ〜新日プロへUターン

 

全日参戦中は、二代目タイガーマスク(三沢光晴)を相手に虎ハンターとして活躍。1985年NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を、1986年には世界ジュニアヘビー級王座を獲得。

 

ご本人曰く「初代の時ほど燃えなかった」そうですが、二代目タイガーの(数少ない)ベストバウトは、武道館での小林邦昭戦だったと思います。

 

その後、長州力さんらと新日マットに出戻り、1987年8月にIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。

 

その年の12月27日、たけし軍団登場で暴動が起きた“あの“ヤーエンドin両国国技館で小林邦昭さんはスーパールーキー馳浩さんの凱旋帰国試合の相手として戦い、ベルトを奪われました。

 

小林邦昭さんは1989年4月24日、新日本プロレス初の東京ドーム大会「闘強導夢」で獣神ライガーのデビュー戦の対戦相手も務めています。

平成維震軍

 

その後、ヘビー級へ転向すると1991年、誠心会館の青柳、齋藤彰俊らと抗争を繰り広げ、プロレス対空手の異種格闘技戦を展開。

 

これがきっかけとなり、小林邦昭さんは新日本体の選手会と対立。越中詩郎さんらと「反選手会同盟(後の平成維震軍)」を結成しました。

昭和と平成、2つの維新軍に所属したのは小林邦昭さんだけです。

 

現役引退、がんとの闘病

 

1999年、平成維震軍解散。

 

小林邦昭さんは大腸がん、肝臓がんなどで3度の手術を経験し、2000年4月21日、獣神サンダーライガー戦を最後に現役を引退しました。

 

セレモニーには初代タイガーマスク 佐山サトルさんが駆けつけ、二代目タイガーマスクの三沢光晴さんからメッセージが届きました

 

引退後の小林邦昭さんは大腸、肝臓、そして2回の肺と転移するがんとの闘病を続けながら、道場の管理人など裏方として、いまも新日本プロレスを支え続けています。

小林邦昭さんはがんについて「僕は、がんを練習で克服したと思っています。よく人から『がんが4回も転移してよく生きてるね?』と言われますが、今も道場でトレーニングを欠かしてないですし、この練習を続けてきたからこそがんを克服したと思っています。今は薬ものんでません。こんな人間いないと思う」

 

アントニオ猪木

 

小林邦昭さんは「アントニオ猪木に憧れて」新日本プロレスに入門した1人ですが、現役時代、活躍したのが常に反体制側だったこともあり不思議なくらい一緒にいるところを見る機会が少なかった気がします。

近年のインタビューでは「とにかく猪木さん」と語り、入門当初からの憧れと尊敬の想いは、今なお変わらないと語っておられます。

そしてデビュー間もない頃、猪木さんにかけられたこの言葉が忘れられないと語っています。

「オイ、小林。お前は1日24時間の中で、何時から何時までプロレスやってるんだよ」

「僕は、会場に入って出るまでレスラーです」

「いいな、お前は楽で。俺は朝起きてから寝るまでレスラーだぜ」

 


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コメント

  1. 足を取っての首固め より:

    リンピオ は ヒールじゃなくベビーフェースでは と細かい指摘

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