今回は80年代後半から90年代に新日本プロレスで活躍した、クラッシャー バンバン ビガロを取り上げます。
190cm 170kgの巨体でありながら器用な身のこなしと受け身のうまさには定評があり、全身の刺青と炎をデザインした全身コスチュームの見た目のインパクトも抜群。時期的にギリギリ「昭和最後の怪物レスラー」でした。
ハシミコフ、北尾光司プロレス デビュー戦の相手役としても有名です。
●“モンスターファクトリーからの刺客“
ビガロは1961年生まれ、日本マット初登場は1987(昭和62)年1月。アントニオ猪木の新たなライバルとして、鮮烈な新日本マット登場を果たします。
元レスラー、ラリー シャープ主催のプロレスラー育成機関“モンスターファクトリーからの刺客“というギミックでしたが、実際にビガロはここでプロレスラーとしての基礎を学び、テネシー州メンフィスCWAマットで1985(昭和60)年にデビュー。日本初登場時はキャリア2年目の“グリーンボーイ“でした。
新日本プロレスはビガロをアントニオ猪木のライバルとするべく、シングルマッチを連発。ビガロも越中詩郎やジョージ高野をリング上から場外フェンス外まで放り投げてノックアウトし観客を戦慄させ、藤波辰爾を回転エビ固めで、前田日明にも首固めで立て続けにフォール勝ちするなど、猛プッシュに応えます。この頃のビガロは、映画「ジョーズ」のテーマで入場する“怪物“レスラーでした。
この1987(昭和62)年の新日本プロレスは、「世代抗争」の時期。8月には後のG1クライマックスの源流とも言える「サマーナイトフィーバー in 両国国技館」2連戦が開催されました。
ビガロはその直前、8月2日の両国大会で遂にアントニオ猪木と一騎討ち。この年の第5回シリーズで正式にタイトル化されたIWGPヘビー級の、記念すべき初防衛戦がこの試合なのです。
この試合はアントニオ猪木の珍しいラリアット(しかも連発)が飛び出したことでも有名ですが、なんと言っても試合後のマイク「いいか、よく聞け、木村!藤波!長州!前田!ベルトはいつでも用意してるぞ!獲りに来い‼︎」にトドメを刺します。
久々に猪木らしい大逆転からの完勝だった故に飛び出した発言で、裏返せばビガロの負けっぷりが見事だったとも言えるのでした。
●ハシミコフ、北尾デビュー戦
このビガロのプロレスラー としての「よい仕事ぶり」はその後、立て続けに異種格闘技からの大物のデビュー戦の相手を務めたことで、さらに発揮されます。
1989(平成元)年4月24日、新日本プロレス初の東京ドーム興行「格闘衛星闘強童夢」で、ソ連初のプロレスラー 、レッドブル軍団の大将格 サルマン ハシミコフと対決。2分26秒、水車落としで敗戦。
1990(平成2)年2月10日には同じく東京ドーム「スーパーファイトin闘強童夢」で元大相撲 第60代横綱 北尾光司のデビュー戦で対決。北尾のしょっぱさに悪戦苦闘しながらもなんとか(?)試合を成立させたビガロの力量だけが、高く評価される結果となりました。
1991(平成3)年12月にはアマチュアボクシングの欧州チャンプ、トニー ホームのプロレスデビュー戦の相手も務めています。
●ビガロのテーマ
「自身がギターを弾いている」と言われた入場テーマ。CD化されておらず幻の楽曲となっています。
●ベイダーとのタッグでスタイナー兄弟と名勝負
1990年6月、坂口征二社長就任時の「雪解け」を受けて全日本プロレスにも1シリーズだけレンタル出場。スタンハンセンとコンビを結成するなどして三沢光晴、小橋健太、川田利明ら四天王と対戦しています。
この頃、ビガロは同じ新日本育ちのビッグバン ベイダーとの“BV砲“を結成、IWGPタッグ王者となり、武藤敬司&馳浩などと熱戦を展開。この時期の新日本プロレスは華やかかつスピーディな攻防で、大いに盛り上がりました。
1992(平成4)年6月26日、日本武道館で行われた当時WCW最強のタッグチーム、スタイナーブラザーズとのIWGPタッグ選手権は、シチュエーション、顔ぶれ、試合のクオリティ共に日本プロレス史上に残る“ガイジン同士のタッグマッチ ベストバウト“となりました。
その後のビガロはWWF(現WWE)に移籍。1995(平成7)年4月のレッスルマニアXIで元NFLのスーパースター、ローレンス テイラーと対決(なんとメインイベント)。
日本では天龍率いるWARに登場、天龍&大仁田とのコンビも結成しました。
●VT参戦のミステイク
このように日米を股にかけ活躍したビガロですが、持ち前の器用さと仕事ぶりから、元来の“怪物“としてではなく完全に“便利屋“キャラとしてのポジションに収まってしまいました。
そしてその最悪な選択が、1996(平成8)年11月に行われた日本初金網バーリトゥード「U-JAPAN」のメインイベント、キモ戦でした。
この試合は当初、ベイダーにオファーして拒否されたとも言われますが、ビガロはわずか2分15秒で秒殺され、結果として見事な噛ませ犬ぶりを発揮してしまいました。
2000(平成12)年7月に「火事に巻き込まれた近所の子供を大火傷を負いながら助けた」というニュース以降、セミリタイア状態になりました。
2005(平成17)年にはバイク事故を起こし同乗女性が負傷するなど不運続きで、プロレスからも完全に引退。
そして2007(平成19)年1月19日、フロリダの自宅で死去。死因は公表されていませんが、薬物の大量摂取による副作用と報じられました。享年45歳の若さでした。
いま改めてみると、ビガロはキャラクターだけでなく天性のプロレスセンスは秀逸で、まさに「プロレスの申し子」。見た目と違って明るく、イイ奴過ぎたんですかね・・・後期の「便利屋」扱いが寂しい気持ちになります。
Bam Bam Bigelow 1961-2007
R.I.P
コメント
初めまして。
自分の好きな外国人レスラーが取り上げていたので嬉しくなりコメントしました。
この投稿を見てビガロさんの試合動画(87~92年の新日本プロレス)を改めて見ると強さもですが巧さや相手の力を引き出す技術の素晴らしさが更にわかって楽しくなりました。
これからもblogやyoutubeチャンネル楽しみにしています。
blogを知った理由
昨年たまたま昭和プロレスの業界の事情とかを検索してて外国人レスラーのギャラ事情の投稿に辿り着いたのがきっかけです。
コメントありがとうございます!ビガロは若いのに巧いレスラーでしたよね。あれだけの体重がありながらフワフワ軽いのが魅力でもあり弱点でもあったような・・・今後とも、宜しくお願いします!