昭和特撮「昭和 ガメラ シリーズ」~1965-1980 大映 昭和のもう一匹の怪獣王 全8作を一挙紹介! 


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今回は、昭和の怪獣映画で『東宝 ゴジラ』と人気を分け合った『大映 ガメラ』をご紹介します。

昭和のガメラ シリーズはメジャーなゴジラ シリーズに比べ”マイナーB級映画感まる出し””ツッコミどころ満載なネタ映画”でありながら、それだけでは片づけられない不思議な魅力があり、いまもってカルト人気の高い怪獣映画です。

 


 

●アサヒ ソノラマの魅力

 

実は私にとっての「ガメラ」は、アサヒ ソノラマ刊行のこの冊子とイラストなのです。
「ガメラ」に限らずですが、この鮮烈過ぎる色合いとタッチは、幼少期の私の美的感覚に多大なる影響を与えましたねぇ。。。

 


 

●ガメラの誕生~当初企画は大ネズミ!

 

1965(昭和40)年当時、怪獣映画は東宝 ゴジラの独壇場でした。「ゴジラ」(1954)「ゴジラの逆襲」(1955)「キングコング対ゴジラ」(1962)「モスラ対ゴジラ」(1964)を経て、この1965年にはキングギドラが登場する5作目「三大怪獣 地球最大の決戦」、6作目「怪獣大戦争」が公開された年です。大映社長、永田雅一氏は「打倒 東宝ゴジラ」を掲げ、怪獣映画進出を命じます。

 

大映では1956年に「宇宙人東京に現わる」という日本初の本格的カラー空想特撮映画を公開した実績がありました(本作の宇宙人デザインが岡本太郎氏であることは有名です)。

 

1963(昭和38)年、巨大化したネズミが群れをなして東京を襲うという「大群獣ネズラ」を企画、制作に入りましたが、撮影のために大量に集められたネズミからノミやダニなどが発生するという衛生上の問題で撮影は中止に。次なる企画として挙がったのが巨大な亀が火炎を吹きながら回転して空を飛ぶ、ガメラでした(ちなみにガメラの飛行シーンは、ねずみ花火をヒントにしているのだとか)。

 

プロデューサーの斉藤米二郎氏によれば、永田社長から「大映にも優秀な特撮マンがいるんだから、東宝のゴジラに負けてられるか」と社内プロデューサー全員に1人1本づつ怪獣映画のプロットを提出する社長命令が下され、企画が始まったそうです。しかし、当時の大映社内は特撮部門と本編部門の相性が悪く「ウチには怪獣映画はムリ」という反応だったとか。そのため、監督の引き受け手がなかなか現れず(みんなイヤがり)、デビュー2作目の新人、湯浅憲明氏が抜擢されました。

 


 

●1作目がモノクロ作品である理由

 

当時すでに斜陽化して来ていた邦画界の予算枯渇は切実で、このガメラも「B級予算」編成。ゴジラは1954,55年公開の1作目、2作目こそモノクロですが、1964(昭和39)年のモスラ対~以降はカラー作品であり、1965(昭和40)年公開のガメラも当然、カラーでの制作が要望されていました。しかし、大映には高速度撮影用のカメラが無く、人員も予算も不足して結局、モノクロ作品での制作となりました。

 

少ない予算の中、試行錯誤して完成したものの、スタッフは出来映えには自信がなく、永田社長を迎えた完成試写会では社長の逆鱗に触れることを予期して撮影署長がトンズラする始末。ところが試写終了後に永田社長が「おもろいやないか!」と絶賛、重役連も「いやあ、オモロイですな~」と一斉に社長になびき、これを見て監督以下スタッフは胸を撫でおろした、という逸話が残されています。

 

それでも尚、営業サイドでは「所詮はゴジラの二番煎じ」と興行人気危ぶむ声が主流だったといいますが、予告編の上映時から前売り券が捌け出し、封切りされるや大ヒットに。以降、倒産まで大映を支えた人気シリーズとなりました。

 

この成功を受け、1967(昭和42)年には日活が「ガッパ」、松竹が「ギララ」を公開。邦画界は怪獣バトルロイヤルの様相を呈しました。Godzilla, GAMERA, GAPPA, GIRARA ・・・いずれも頭文字がGですね。

 

 


 

●ガメラの特長 ゴジラとの違い

 

ゴジラ映画と比較するとガメラは「わかりやすい子供の味方、正義のヒーロー怪獣」で、映画のオープニングからガメラが登場するわかりやすさが最大の特長です。

 

ゴジラ映画は怪獣が登場するまでの人間ドラマに多くの時間を割き、映画開始から1時間くらい怪獣が出てこないことはザラですが、ガメラはオープニングから「ガメラ~」という能天気な歌と共に子供たちを甲羅に載せたガメラが飛んで来る、といった具合で対照的です。「ガメラの歌」~「ガメラマーチ」の主題歌は「つよいぞガメラ」「やっつけろ」といった応援ソングで、子どもたちに大人気を博します。これは湯浅監督の「怪獣が出ないシーンは子供たちが集中しないから極力なくす」というポリシーによるものだそうです。

 

ガメラ シリーズは1~2作目こそまともな(大人の鑑賞にも耐えうる)怪獣映画、ですが3作目以降は「怪獣によるプロレス映画」と割り切り、子供を主人公に思い切り定年層向けに振り切った点も人気を高めたポイント。本家のゴジラ シリーズも、既に5作目くらいからは大人向けの人間ドラマ部分が破綻して、見るに堪えないクオリティになっていました。ガメラは定番の人間ドラマやシリアスなメッセージ性を潔く”ナシ”にして、明るくはっちゃける方針をとりました。なのでガメラの方が”単純に面白い”のです。

 

敵の怪獣も各々”得意技”がハッキリしていて、ガメラとの対立構造も明確

 

そしてもうひとつ、ガメラは「たった1匹で傷だらけになりながらも悪に立ち向かうヒーロー」として描かれるため、勧善懲悪的なカタルシスもありました。”切り刻まれて緑色の血を流しながらも子どもを守るために孤軍奮闘、獅子奮迅のガメラ”というスタンスは、後の平成シリーズにも受け継がれています。

 

●ガメラ マーチ

第4作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』の主題歌としてリリースされ、以後、シリーズ全作で主題歌として使用されました。作詞は大映 永田雅一社長の実子で専務 副社長だった永田秀雅氏。「大映児童合唱団」というのは、湯浅監督によると「そこらへんの子を集めてきて歌わせたもの」だそうです(笑)。

 


 

■1965年 第1作『大怪獣ガメラ』 監督:湯浅憲明
同時上映:『新・鞍馬天狗 五條坂の決闘』

(北極海に墜落した国籍不明の戦闘機に積んでいた)原爆で目を覚ます、というのは本家ゴジラと相似。ガメラは東京タワーをぶっ倒して大暴れ。低予算とはいうものの、ちゃんと迫力ある怪獣映画になってますし、特撮セットもチャチくなくてスケールを感じます。
最後は船越英二さん演じる博士発案の「Z計画」ロケットで火星に飛ばされます。早くも本作で子供を助けるシーンがあり、これが後の「子どもの味方」イメージにつながっていくんですね。

 

■1966年 第2作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』 監督:田中重雄/特撮監督:湯浅憲明
同時上映:『大魔神』

前目の大ヒットを受け制作された2作目は、打って変わって「大作予算」編成のフルカラー(総天然色)作品(ポスターにはちゃっかり製作・永田雅一の文字まで)。また昭和ガメラ シリーズで唯一ストーリーに子供がからまない、一般向けの内容の映画となっています。バルゴンというワニ+オオトカゲ的な見た目の”冷凍怪獣”と大阪城で決戦。口から冷凍液を吐き、背びれからは虹色殺人光線を放ちます。ゴジラの2作目、アンギラスも四足歩行怪獣ですし決戦場も大阪城。意識したんでしょうかね。ガメラはカメで「寒さに弱い」という弱点は以降も繰り返し描かれます。

 

■1967年 第3作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』 監督:湯浅憲明
同時上映:『小さい逃亡者』

ギャオスは巨大な鳥で、ヤクルトで活躍した内藤選手のニックネームはこの怪獣からなのです。口からなんでも切断してしまう超音波メス(レーザー光線)が武器で、ガメラはよく切られて緑色の血を流して痛そうでした。本作は「陸上と海では強いが、空は飛ぶだけのガメラ」と「空中戦が得意、地上は不得手、水には入れないギャオス」という能力と、「硬い甲羅で接近戦に優れたガメラ」と、「防御力は弱いが何でも切れる遠距離武器を持つギャオス」という戦闘力の対比が見事で、戦闘シーンの描写も優れており、東宝「ゴジラシリーズ」の本多猪四郎監督も絶賛したそうです。

 

■1968年 第4作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』 監督:湯浅憲明
同時上映:『妖怪百物語』

本作からアメリカでのテレビ放映契約を織り込み、完全なる「子供向け」にシフトします。監督の湯浅氏は「バルゴンで大人のドラマをやってみたが劇場の子供達は走り回って全く見ていない。ギャオスでは子供がガメラに乗る場面は大歓声だった。子供が冒険し、怪獣が出ずっぱりのバイラスが、シリーズ当初から本来やりたかった形だ」「ラストで子供たちが大空を飛ぶガメラに手を振るシーンに、童話的なイメージを込めた」と語っています。宇宙人の乗る、スズメバチみたいな円盤は秀逸なデザインでした。このバイラスはイカ状のキモチ悪い(顔色も悪い)ヤツで、飛んできてガメラのどてっ腹を貫通する串刺しシーンは衝撃的でした。

 

■1969年 第5作『ガメラ対大悪獣ギロン』 監督:湯浅憲明
同時上映:『東海道お化け道中』

見た目が包丁、というシュールすぎるギロンは「大悪獣」。こんな凶悪なニックネームを持つ怪獣はなかなかいません。ギャオスをぶつ切りにして食べたり、コメカミから手裏剣を発射したり、と強烈なヒールぶりを発揮。前年のメキシコ五輪にちなんでガメラが「大車輪」「月面飛び」などのウルトラC技を披露します。

 

■1970年 第6作『ガメラ対大魔獣ジャイガー』 監督:湯浅憲明
同時上映:『透明剣士』

今回は大阪万博を舞台に、「謎の古代遺跡」「オカルト」がモチーフ。本作制作時、すでに大映本社の経営は末期状態で、倒産が濃厚だった時期。ジャイガーは水牛とワニ、魚やトリケラトプスなどを混ぜたようなスタイルでニックネームは「大魔獣」。命名の由来は不明ですが「ジャイアント」または「ギガンテック」をもじったほか、ジャガイモに似ているからというウワサも。

 

■1971年 第7作『ガメラ対深海怪獣ジグラ』 監督:湯浅憲明
同時上映:『赤胴鈴之助 三つ目の鳥人』

ガメラ シリーズは経営不振の中まずまずの興行成績を記録していましたが遂に大映が倒産。結果として本作が旧大映ガメラ シリーズとして事実上最後の作品となってしまいました。本作は鴨川シーワールドを舞台とした海洋モノですが、予算の枯渇が画面に現れる悲惨な出来栄えに。。ジグラはミツクリザメという深海性のサメの姿をした怪獣。名前はクジラをもじったもの。頭に岩を刺され背びれを岩で叩かれガメラ マーチを演奏された挙句、火炎放射で焼かれて死亡。

 

■1980年 第8作『宇宙怪獣ガメラ』 監督:湯浅憲明
同時上映:『鉄腕アトム地球防衛隊』

第7作以来、徳間グループ資本下となった大映により9年ぶりに制作された本作は、歴代ガメラ シリーズの特撮シーンに新作映像を加えて再編集。女子プロレスラー マッハ文朱の初主演作品でもあります。当時の大ヒット映画『スターウォーズ』『ジョーズ』『スーパーマン』『未知との遭遇』などパロディを折り込み、挙句にガメラと宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999が一緒に宇宙を飛ぶシーンがあるなど、1980年制作とは思えない低クオリティで有名な、伝説のカルトムービーです。

 


 

大映の倒産と共に終焉したガメラ シリーズは、マイナー、B級ならでは、の”残念な感じ”が最後までぬぐえませんでしたが・・・後にゴジラに続いてリブートされた「平成 ガメラ シリーズ」は金子修介監督、脚本家 伊藤和典氏、特技監督 樋口真嗣氏らの手によって”怪獣映画の最高峰”と評価される名作に。その流れは本家・ゴジラにも影響を与えたのは、なんだか痛快です。

平成ガメラ シリーズは、また改めて・・・

 

【昭和 ガメラ シリーズ】

1965年 第1作『大怪獣ガメラ』 監督:湯浅憲明
1966年 第2作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』 監督:田中重雄/特撮監督:湯浅憲明
1967年 第3作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』 監督:湯浅憲明
1968年 第4作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』 監督:湯浅憲明
1969年 第5作『ガメラ対大悪獣ギロン』 監督:湯浅憲明
1970年 第6作『ガメラ対大魔獣ジャイガー』 監督:湯浅憲明
1971年 第7作『ガメラ対深海怪獣ジグラ』 監督:湯浅憲明
1980年 第8作『宇宙怪獣ガメラ』 監督:湯浅憲明

 

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