私が「シン・ウルトラマン」に感じた、5つの「違和感」【ネタバレあり感想】

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観終わった直後の感想は、正直なところ「なるほどなぁ…」でした。

 

 

いや、「満足してない」とか「不満」ではないです。一緒に観た小学生の息子の感想も、開口一番「面白かったね!」でした。嬉しかったですね。

 

とにもかくにもこの世の中に、「ウルトラマン」を新作映画として創ってくれただけで、感謝しかありません。なにせ、第1作ウルトラマンのリメイクは初ですよ。あれだけエポックメイキングな、「原点にして至高」な作品をリメイクするなんて、どれほど勇気が要ることか。

 

そして、樋口監督&庵野総監修のお2人でなければ、もっとヘンテコに改悪されたに違いありません。実際これまで、リメイクと言いつつ原典へのリスペクトも探求も足りず、ヘタに独自のカラーを足そうとして「余計なことしやがって、だったらオリジナルでやれや!」と炎上した作品は、数え切れません。

 

その点、いちばん好きでいちばん詳しい…というと文句言う人がいるかもなので、いちばん「愛している」人たちが創った(蘇らせた)ウルトラマンに、文句をつけるつもりなど、どこにもありません。

 

 

実際、「ウルトラマンって聞いてたのに、ウルトラQから!」のオープニング、そして流石は庵野さん、やっぱり多用しまくってくれた「宮内國郎サウンド」がIMAXで劇場に鳴り響いた時は、感動しました。やっぱり劇伴って、めちゃくちゃ重要なんですよ。記憶が蘇りますからね。リメイクやるなら音楽もオリジナルを大切に、リブートするべきです。

 

その前提の上で。

 

でも、明らかに「シン・ゴジラ」を観た時のような「言うことないです、素晴らしい!コレが観たかったヤツです!」とは違ったんですよね。

 

なんだか「モヤモヤ」したのは、果たして何故なのか。

 

結論から言えば、このお二人が「創りたい、見せたいウルトラマン」と、私が「見たかった、創って欲しかったウルトラマン」に少しズレがあったから、という話です。

 

だったら、私が「見たかった、創って欲しかったウルトラマン」って何なのよ?

 

それをずっとモヤモヤ考えて、これまで答えがまとまらずにいました。

 

正直言うとまだまとまってないのですが(笑)、観ておいて何も言わないのも私の性格上、気持ちが悪くて仕方ないので、なんとか言語化してみようと思います。

 

要するに、「ウルトラマン」原典の面白さって何なのか、ほかの作品と何が違うのか?私はどこをフォーカスして欲しかったのか?というお話です。

 

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違和感①「明るさ」と「暗さ」

 

1966(昭和41)年につくられた「ウルトラマン 」には、なんとも言えない「明るさ」がありました。

 

科学特捜隊の人たちが着ている青いブレザーとオレンジの戦闘服、シルバーのビートル機とクルマ、流星マークなどのビジュアルが、“科学の力でこれからもっとよい世の中になる“という、「明るい未来」を感じさせます。

 

そう、このお話は万博を控えた当時の日本から、「少し未来」の話、なのでした。

 

そしてそれだけでなく、登場人物がみんな「明るい」。科特隊のメンバーは、深刻な事態にもしかめ面でなく、笑顔で働いていて、けっこうコメディタッチな描写も多い。

 

 

そんな中、登場するウルトラマンは、頭のテッペンから爪先まで光り輝く銀色に鮮やかな赤いライン。目も光ってるし「カラー」タイマーまである。

 

 

これ、当時の日本人には、いまよりもっともっと革新的で、未来的な姿に見えたハズなんですよ。なにせカラー放送による特撮巨大ヒーローとして、ほぼ初(厳密にいえば、放送はマグマ大使の方がわずかに早い)の存在ですからね。

 

そんな科特隊とウルトラマンが、次々と現れるカラフルな怪獣や宇宙人と戦い、毎回ハッピーエンドに終わる(もちろんそうじゃない回もありますが、僅かです)。

 

そう、「ウルトラマン」って明るいんです。「光の国からぼくらのために、来たぞわれらのウルトラマン」なんです。

 

「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン 」などと比べても、もはや死語ですが「ネアカ」な雰囲気があるんです。そしてそれが、当時の子供たちのハートを鷲掴みにしたんだと思うんですよね。

 

その点、「シン・ウルトラマン」は、やっぱりというかシリアスで閉塞感たっぷりで。

 

私は「別にシン・ゴジラみたいなシン・ウルトラマンじゃなくてもいいのに…」と思ったんですよね。ウルトラマンは空想特撮作品のヒーローものとして、天災的で核の影を纏うゴジラとは違う、アッパーで明るい世界観でもいいのにさ、という。

 

もちろん禍特隊のメンツだって頑張っていて、コミカルだったりはしますけど…作品全体のムードが暗くてどうにも閉塞感が…シリアスにするにはこうなるんでしょうけど、もっとエンタメに振った「開放感」が欲しかった。

 

 

 

もちろん樋口監督、庵野総監修のお2人だってそんなことは承知の上で、しかしながら映画というものはその時代の空気感も反映しないとならないもの。いまの世の中にそんな明るいだけのものは合わないよね、なにより絵空事過ぎるよね、というチューニングが働いたのだろうと思うのですけども。

 

さらには、もちろん「シン」作品たちが緩やかにつながる「マルチバース」のコンセプトも関係するし、このタッチこそが庵野節、なんでしょうけども。そして後述する「予算の問題」が大きかったんだろうと思います。

 

②科特隊の「あり方」

 

「ウルトラマン 」の科特隊は、「怪獣退治の専門家」チーム。専用の基地があり、ビートル機があり、オレンジの戦闘服を着て、光線銃などで武装してます。そして次作の「ウルトラセブン」程ではないんですが、ちゃんと基地とメカ(ビートル機とか)の要素もあります。

 

 

 

これが「シン・ウルトラマン」では、バッサリなかった。だからすごく物足りなく感じたんだろうと思います。最新技術で科特隊ビルやビートル機、コスチュームやヘルメットなどがどう描かれるのか、楽しみにしてただけに。さすがに「怪獣相手に光線銃」は無理がありますけど。

 

 

禍特隊は、スーツ着てPC睨んで小難しい理屈を捏ね回す「調査チーム」じゃなくて、「空想特撮作品なんだから怪獣退治の専門チームでいいじゃんそこは。真面目か?」ってことですね(笑)

 

それを補うなら、「これだけのプロジェクトにたったの5人?」の違和感の方を払しょくしてもらいたかったです。どんな零細企業だよ、と。

 

③エピソードの「チョイス」

 

普通に「ベムラー追いかけて地球に来たウルトラマンが、ハヤタを過失で死なせて、その責任を感じて一体化」でいいのに。子供を助けた人間の自己犠牲に打たれるのは「帰ってきた」じゃん。

 

そして「ウルトラマン 」だったら、一般的にはバルタン星人とレッドキング 、ゴモラあたりじゃないの?

 

 

メフィラスはまだわかるとして、なんでネロンガとガボラとザラブなの、どうしても巨大フジ隊員やりたかったのね。庵野さんの趣味だししゃーないけど、いささかチョイスがマニアック過ぎでしょ、という(笑)

 

 

 

まぁこれも、「アートワークス」などでお二人の発言を読むと、よくわかります。なるほどね、そういう理屈なのね、ということが理解できました(なんだか『バルタン星人は権利問題が云々』というのが、すごく引っかかりましたけど)。

 

④怪獣よりも宇宙人

 

映画として一つのストーリーに仕立てるときに、ザラブが来て(さらに怪獣=禍威獣は生物兵器という設定に)、メフィラスが来て、最後にゾーフィという「侵略者としての外星人と人間(といっても日本人だけだけど)の攻防」という紡ぎ方はなるほど、うまいなぁ、と思ったんですけど。

 

…それが「ウルトラマン 」なの?という。

・・・それって「ウルトラセブン」じゃん、と感じたワケですよ。

 

そもそも、ウルトラマンに怪獣が出てくる理由とか要るのか?というね…。そこに説得力を持たせることに力を入れるより、ウルトラマンかっこいい!爽快!でいいんじゃないの、と。

 

⑤ゼットンが…

 

そして5つ目は、ゼットンのあり方ですね。

 

そりゃあんな形状で出てこられたら、どうしてもあーいう戦闘しか描けなくなり、そのせいでラストがヘンテコな少し前のゲームの戦闘シーンみたいになっちゃって、盛り上がりに欠けまくってしまったのは、残念でした(まぁ、あそこから怪獣スタイルに変形されてもズッコケますけどね)。

 

やっぱり最後はウルトラマンらしい「怪獣バトル」で、そして最強の敵にウルトラマンがやられて…というリメイクが見たかったなぁ。

 

 

ついでに言えば、予告編から不安だった「ウルトラマン がいささかCG過ぎる」というのも。ワザとなのか、もう少し着ぐるみテイストの、古谷敏さんの肉感たっぷりのウルトラマンを最新技術で見たかったなぁ、と感じてしまいました。シン・ゴジラの肉感が素晴らしかっただけに。

 

あ、あと。なぜに今回のウルトラマンはあの独特の「声」を一言も発しなかったんでしょうか。きっと出し惜しみしていてそのうち・・・と思っていたら映画が終わってしまって、驚きました。

 

これら違和感の謎は解けたけど、もっと深刻な問題が

 

と、ここまで5つ+αの「違和感」について書きましたが。

 

鑑賞後に「デザインワークス」に寄せた庵野秀明氏の文章を読んで、前述の通り、かなりの謎が解けました。

 

 

なんとこの中には、「ミラーマン」「マイティジャック 」のリメイク企画があったこと、「シン・ゴジラ」の続編として、前作とはテイストの違う怪獣総進撃的な、その名も「シン・ゴジラの逆襲」の構想があったこと、などが綴られています。

 

観たい!ヨダレがでます…。

 

そして今回の「シン・ウルトラマン」は本来3部作構想で、次作に怪獣退治的な「続シン・ウルトラマン」と、もしかしたら連続ドラマの「シン・ウルトラセブン」とセットなのだ、という。

 

観た過ぎる…脳髄が痺れます。

 

それであれば、まずは今回、こうした「シン・ウルトラマン」だったのだ、ということがすんなり飲み込めました。

 

ただし。

 

その一方で、このデザインワークスの庵野さんの寄稿、「なんだかなぁ」とツライ気持ちになることもたくさん、綴られていました。

 

要するに、「予算がない」ということ。

 

「過去、ウルトラマンの劇場版で10億を超えたことがない」とか、そんな役立たずな過去のデータを引っ張って来て、「シン・ゴジラ」であれだけ実績を出したこの2人の新作にでも、予算を出し渋るという邦画界ビジネスのどうしようもなさが、今回の「シン・ウルトラマン」のクオリティに大きく影響したことが伺える吐露でした。

 

なんというロマンのなさ。なんという先見性のなさ。コンテンツビジネスへの無理解。

 

絶望的な気持ちになります。

 

「ウルトラマン」だけでなく、故・円谷英二さんら先達が創った「特撮」という文化が、どれだけ(これまでも、これからも)この国のブランディングにつながるのか、わかってないんですよね、たぶん。

 

そしてこれまでの「劇場公開+ソフト売上」の興行ビジネスの枠の中でしか物事を考えられない、それがこの国の映画ビジネスの現実なんでしょうか。

 

叶うことなら、予算なんて気にせずに、とことんまで納得のいくものを創らせてあげて欲しい。それがこの先何十年も、この国を支えるチカラになるハズなのです。

 

これまで生み出された想像力に富んだ特撮やアニメ、漫画など、バラエティに富んだコンテンツの数々が、どれだけ世界中の人たちから愛され、日本への憧れやリスペクトにつながってきたことか。日本人こそ、その価値に気付くべきです。

 

 

 

 

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