「尾崎豊」はカリスマなんかじゃない 1983〜1992

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いまでは「若者のカリスマ」とか「教祖」とか言われて、「伝説」とされている尾崎豊。私は彼の死後のそういうステレオタイプな評価、論調には、違和感しかありません。

今回はリアルタイム世代が見た「尾崎豊」について、当時感じた印象を書き記したいと思います。

※文中敬称略

 


 

◆デビュー当時の尾崎豊

私が彼を始めて観たのは1984年、福岡では当時、深夜に不定期放送されていた「TVK ミュートマJAPAN」という邦楽ロックのPV番組で、でした。

そこで流れたのは2ndシングル「十七歳の地図」のプロモーションビデオ。中学2年の私はソレで初めて「動いている尾崎豊」を観ました。

 

尾崎豊 という存在は、その前からソニーマガジンズ「PATI PATI」という月刊誌で知っていました。「ギターマガジン」から派生して1984年に創刊されたこの雑誌のコンセプトは「アイドルの枠では収まらない、新世代のミュージシャン雑誌」といったもので、創刊当時の主要キャストがチェッカーズ、吉川晃司、そして尾崎豊だったのです。

この頃の尾崎豊は徹底したプロモーション戦略が敷かれ、写真はいつもモノクロか、ワンカラー。普通のカラー写真や笑顔は一切なく、TVには出ない尾崎豊の動いている姿は、見る機会がなかったのです。

 

アイドル然としたチェッカーズ、スタイリッシュな吉川晃司に比べ、尾崎豊はフォークの匂いがしましたし、ブルース スプリングスティーンみたいな骨太の熱いロックンロールの流れを感じます。

 

邦楽で言えば、佐野元春より浜田省吾的です。ストラトキャスターじゃなくてテレキャスター、ブルージーンズに白いTシャツ、バンダナのない浜省、が初期の尾崎豊のイメージです。

 


 

◆ファーストアルバム「十七歳の地図」

そして多分、友人にカセットを借りたかなにかで、このシングルが収録されたファーストアルバムを聴いたのだと思います。

1983年12月にリリースされたファーストアルバム「十七歳の地図」は、独特な文学的な詩の世界に、Saxが印象的なノリのいいロックンロール、メロディアスなミディアムナンバー、バラードなどなど、全楽曲の詩曲を担当した10代のデビューアルバムとは思えない程の完成度で、伸びやかな歌声を含めて、その才能に驚かされました。

 

中でも、尾崎豊の魅力は、文学的でロマンティックな「ナイーブさ」「センシティブさ」と、時折見せるヤンチャな部分、ケンカに校内暴力、少女売春なんかの、若さ故の過ちチックな「危うさ」のバランスだったと思います。

 


 

◆ライブ番組「早すぎる伝説」

 

そんな尾崎豊の人気が一般層にブレイクしたのは、それから2年近くが経過した1986年1月16日深夜にフジテレビ系列で放送されたライブ番組「早すぎる伝説」です。この番組は、1985年の「LAST TEENAGE APPEARANCE TOUR」国立代々木第一体育館2デイズのうち、11月15日の模様をフジテレビが収録したものです。

提供の日清カップヌードルのCMが尾崎豊の代表曲「シェリー」で、この日だけのスペシャルバージョンでした。(80年代のカップヌードルCMはハウンドドッグ「ff」中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」など、ロックミュージシャンを起用することで知られていたのです)

 

CDや雑誌でしか知らない尾崎豊の、その破滅的とさえ思える激しいライブパフォーマンスは、まさに「衝撃的」でした。全身全霊で熱唱を通り越して「絶唱」する姿は、命を削って唄っているように見えました。

 

この番組を観て、初めて尾崎豊を知った人はもちろん、なぜ尾崎豊がこれほどまでに注目され、音楽関係者から「伝説」などと絶賛されるのか、初めて理解した人が多かったと思います。

YouTube

 

ただ…このライブでの有名なMC「笑いたい奴は笑え 俺を信じる奴は付いてこい」は、どうなの…?と感じました。

自己陶酔極まれりなこの発言は、当時中学生の私ですら「なんかマズイなぁ」としか思えず、「カッコいいー」なんてまるで思えなかったのが、後付けでもなんでもなく、正直な感想でした。

 


 

◆大ブレイクした尾崎豊

 

1thシングル「15の夜」、4thシングル「卒業」、セカンドアルバム「回帰線」、サードアルバム「壊れた扉から」とヒットを連発して、尾崎豊はあっという間に超人気アーティストとなりました。このアルバム初期三部作は、いずれもまごうことなき傑作です。

      

 

そして・・・この頃からセルフプロデュースが行き過ぎて「十代の代弁者」としての十字架を背負わされ、オザキはなんだかどんどん苦しそうになっていきました。

 

実際、この当時、リアルタイム世代の私からすると、「尾崎豊は若者の代弁者だ」とか「カリスマだ」「教祖だ」なんて心酔する人は少なかった、というか、少なくとも私の周りにはほとんどいませんでした。危なっかしくて、なにするかわかんなくて、でも明るくて礼儀正しかったり、純粋な文学少年的な部分も含めて、「やたらいい楽曲を創る」「もの凄いライブをやる」アーティスト、というのが、当時の尾崎豊の印象です。

 

しかし、その「十代の代弁者」「若者の教祖」パブリックイメージはどんどん肥大化し、等身大の尾崎豊を呑み込んで自縄自縛していくのでした。

 

ちなみに…余談ですがこの当時は「尾崎豊といえばI LOVE YOU」なんてことは、まるでありませんでした。あれは87年のドラマ「北の国から」の影響で、シングルカットされたのはずいぶん後の1991年です。私は「尾崎豊といえばI LOVE YOU」というのは、ベタ過ぎて好きではありません。オザキはバラードシンガーではなく、ほかにもアップテンポなノリのよいロックンロールや、フォークっぽいミディアムナンバーなど沢山いい楽曲があり、彼の魅力はそのマルチなシンガーソングライターとしての部分と、破滅的な激し過ぎるライブパフォーマンスにあるのに、と思ってしまうのです。

 


 

◆渡米直前の福岡ライブ

 

私が彼を初めて生で観たのは、1986年の元旦に福岡国際センターで行われたライブでした。

この日を最後に尾崎豊は音楽活動を無期限停止し、渡米する、と発表します。渡米前のラストライブがなぜ元旦の、福岡なのか、いまだに謎です。尾崎豊はこの日のライブMCで「友人がドラッグでやられて」みたいなことばかり話していたのを覚えています。

「人気絶頂の最中に音楽活動休止して渡米、しかもNYなんて、まんま佐野元春じゃん、オザキも新しいスタイルで帰ってくるのかな、いまのスタイルはキツそうだから、それもアリだよね」私はそんな風に感じていました。

 


 

◆覚醒剤で逮捕、復活、代々木ライブ

 

彼は86年末に帰国したようですが、新曲の発表もなく、ニューアルバムの制作も中断したままと言われていました。

翌87年には久々に全国ツアーを行いますが9月、体調不良で倒れて以降のツアーはすべて中止に。この頃から「オザキはなにやら重い病気らしい」という噂が流れていました(当時の発表は胃潰瘍とされていましたが、精神的な病では?と思っていました)。

 

そして、覚せい剤取締法違反で逮捕!年末に逮捕されていたのが報道されたのは、88年の年明け早々だったと思います。

「まさか」というより「ホントに手を出したのか、馬鹿だな」という感覚でした。「自殺」と報道されても、同じ感想だったと思います。とにかく、オザキは休んだ方がいい、としか思えませんでした。(またまた余談ですがこの日の新聞には「藤子不二雄解散」の記事も出ていて、ダブルで衝撃だった記憶があります)

 

2月に初公判、執行猶予となり6月には活動を再開して「夜のヒットスタジオ」に最初で最後の出演をしたり、9月には東京ドーム公演も行いますが、復帰作となる4thアルバムの「街路樹」は痛々しくて聴いてられませんでした。唄うテーマがないのにムリして唄っている、のか唄わされている、そんな感じでした。

 

その後発表した5thアルバム「誕生-BIRTH」は、2枚組の大作で聴きごたえがありました。20代の尾崎豊がようやく唄うテーマを見つけて、楽曲制作も精力的に感じられましたし、長い低迷と迷走の期間を経て、復活の兆しが見えました。

 

この頃、私は1991年10月の代々木オリンピックプールでのライブを観ました。久々に見るオザキは元気そうで、楽しそうに唄っていました。

 

結果的にこの福岡と代々木の2回が、私が生で尾崎豊のライブを観た記憶です。

 


◆早逝と違和感

 

この後の経緯は皆さんもご存知の通り、アルバム「放熱の証」を遺作として尾崎豊は1992年4月25日、26歳の若さでこの世を去り、死後に異様とも思える不思議な盛り上がり、評価をされ…

これは葬儀に何万人もの若者が詰めかけた事で、改めて尾崎豊という存在の大きさが、生前の活躍を知らない一般層にも初めて認識され、再評価されたように思います。

 

しかし、冒頭にも書きましたがリアルタイム世代の私からすると、死後の尾崎豊の評価のされ方には違和感しかありません。

 

確かに彼は才能溢れるミュージシャンで、彼の作品を好きな人、彼の存在(ルックスを含め)が好きな人はたくさんいましたが、盲目的に心酔したり、カリスマと持て囃したりはしてなかったように思うのですよね。ダメっぷりも虚像ぶりも危うさも知りながら(斉藤由貴との不倫なんかも含めて)、なんだかとても気になっていた、というのが真相だと私は思っています。もちろん「青臭くて苦手」「説教クサくてキライ」と言う人もたくさんいました。

 

なので死後、当時の若者が圧倒的に支持したカリスマだの教祖だの持て囃されるのを見るにつけ、「若くして死んだらカリスマなのかよ」と感じます。もしも、あのまま尾崎豊が音楽活動を続け、落ち目になっていたとしたら、それでもそういう一辺倒な評価をできるのか?と冷静に考える人はいないのでしょうかね。わかってるけど、そういう表現をした方がわかりやすく、盛り上げやすいだけじゃねぇか、と思うのです。

 

とにかく、彼の死を商売にするあらゆるモノが、薄汚れて感じます。そんな、人の死さえも商売の道具にする連中が「尾崎豊はこうだった」とか語ったり、しつこく大量の書籍やらベストアルバムやらが売られるのを見るにつけ…「一方的にそのいうレッテルを貼って金ヅルにするアンタらみたいなのに尾崎豊は殺されてしまったんだよなぁ」と思ってしまうのです。

 


 

◆余談-尾崎豊と吉川晃司

 

尾崎豊の親友、というと同期デビューの吉川晃司です。岡村靖幸を加えた3人で、よく飲み歩いていたといいます。「ひたすら飲みたい吉川、ディスコで踊りたい岡村、ナンパしたい尾崎」「いつも約束の時間に遅れるのは決まって尾崎」というのも、2人のパブリックイメージとは違っていて面白いです。

 

2人は共演のチャンスが一度だけありました。1984年8月5日、日比谷野外音楽堂で開催予定だった「TOKYO ROCKFEELING FESTIVAL」。しかし、前日の「アトミックカフェ」ライブで尾崎が高さ7mの照明トラスからダイブして足を骨折。幻に終わりました。

 

尾崎の死後、多くの関係者が「自分と尾崎豊は親友だった」とかのエピソードを語っている(ホントに親しかったのか怪しいのもたくさんいますが)中で、吉川晃司は尾崎について、多くを語りませんでした。「死んだ奴のことを一方的に話すのは不公平」という主義らしいのですが、尾崎をネタにするのに嫌悪感があるようで、その辺りが吉川らしいな、と思います。(さすがに最近はその辺りのこだわりも薄れて来たようですが)

 

実は吉川晃司、密かに葬儀で奥さんから頼まれて弔辞を読んだり、尾崎ファンクラブの追悼イベントで彼に捧げる楽曲を披露したり、過去に起こした暴行事件の原因も「尾崎の形見のギターを蹴られたから」という理由だったりします。

 

特に弔辞については、当日に奥さんが「どうしても吉川さんに」と言い出し、「彼も著名なアーティストでいきなり依頼するのは失礼では」と関係者は青ざめたそうですが、吉川氏は二つ返事で引き受け、漢気に溢れた言葉を残したそうです。この件はワイドショーなどでは一切取り上げられず、そういう点を含めて、2人はホントに友達だったんだろうな、と思います。

 


〈尾崎豊 オリジナルアルバム〉

 

十七歳の地図 – SEVENTEEN’S MAP (1983年)
回帰線 – TROPIC OF GRADUATION (1985年)
壊れた扉から – THROUGH THE BROKEN DOOR (1985年)
街路樹 (1988年)
誕生 – BIRTH (1990年)
放熱への証 – CONFESSION FOR EXIST (1992年)

コメント

  1. Ryu より:

    尾崎豊、修学旅行でバスガイドのお姉さんに強く勧められた事が印象深くて回帰線をレンタルレコードで借りて聴いたのが最初でしたね。洋楽を聴いていたら尾崎豊を知らないってあり得ないという怒りを頂戴したのです。丁度テレビでは卒業のプロモーションをやっていて不思議なサビの歌だなとも思いましたが、Wham!やa-haなどに勝るとは全く思ってませんでした。

    当時はブルーハーツが流行り、しばらくすると筋肉少女帯が出てくるくらい回転の早いバンドブームの中で尾崎豊は新作も出さず埋もれているようでしたが、長渕剛や浜田省吾などを歌う駅前のストリートミュージシャンらはよく尾崎の歌を歌っていました。

    シェリーは盛り上がりのあるいい歌でした。でも、素人がコピーするには聞かせ方の難しい歌でした。I love you は学祭でお姉さんボーカルが泣きながら歌うのを見たことがありますが、泣いている理由がよく分からなくなる歌だなと思ったことを覚えています。また、女性に人気のある歌手だという印象があります。

    でも、街路樹はショックでした。初めて聴いた時は、アーティストとして死んじゃうんじゃないかと。地下鉄の風に吹き上げられたという歌詞には逍遙とした孤独が強くて聴いてられませんでした。

    その後は新しいアルバムを聴くのは止めました。だから、亡くなったことをニュース速報が出て知りましたが驚きはなく、ただ悲しかったです。

    でも、街路樹の後もいい歌、一杯ありますね。

    以前、ある歌手の方と話しをすることがあり、彼は尾崎豊についてしんみり、ほんの少しだけ話されていました。その話しを聞きながら、その歌手が若い頃とは違い今を歌えるように、尾崎豊もまた今を歌ってくれただろうなと思いました。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。尾崎豊という歌い手、急逝してヘンなイメージばかりがついてもうまともに評価すらできない風潮なのが哀しいですね。女性に人気があった、というのは確かにそうですね。ヤンチャでナイーブで、本人もそれを自覚していた気がします。もしあんなことにならなかったら、今頃どんな唄を唄っているんでしょうね。

  2. Takamix より:

    我が家は学生下宿をしており下宿の学生たちが心酔していた。
    ただねぇ・・・ 心酔してたのはイケてる子たちじゃないんですよ。
    クラスにいる目立たない系の子たちです。
    自分は尾崎を聞かないんですけど『尾崎の曲』ではなく取り巻くファンに引くと言うか・・・

    けど街路樹の一曲だけは持ってます。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!
      「オザキに心酔してたのはイケてる子たちじゃないんですよ。クラスにいる目立たない系の子たちです。」
      まさにその通り、ですよね。
      「取り巻くファンに引く」というのも、よくわかります。私はマスコミの作り上げた「悩める十代のカリスマ」という紋切り型のパブリックイメージの押し付けが、ソレにあたります。
      もっとも、本人も”承知の上でやってる”感がありましたけど・・・
      才能あるアーティストだっただけに、残念です。

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