「ALL TOGETHER NOW」〜1985 “ニューミュージックの葬式”の意味とは?

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今回は、1985(昭和55)年6月15日に東京・国立競技場で開催された“日本のミュージックシーン史上最大のライブイベント“「ALL TOGETHER NOW」を取り上げます。

 

 

いま話題の吉田拓郎と小田和正、桑田佳祐と佐野元春の共演のルーツ。
伝説のバンド「はっぴいえんど」最後の再結成のステージ。

100名を超える当時一線の「ニューミュージック系人気ミュージシャン」が出演し、6万人の観衆が熱狂した、前代未聞・伝説のジョイント・コンサート。

 

 

にも関わらず、今では不思議とほとんど語られることのない、このビッグイベントは何故、「ニューミュージックの葬式」と言われたのでしょう。

 

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「ALL TOGETHER NOW」とは

 

「ALL TOGETHER NOW」 には、100名を超える当時一線の「ニューミュージック系人気ミュージシャン」が出演しました(当時はまだ「アーティスト」という呼び名は一般的ではありませんでした)。

 

 

観客動員63,000人。公演時間4時間半。使用されたマイクは350本、コードの長さは5,000メートル。使用スピーカー854ユニット、アンプ266台。PA用メインコンソール17台、録音用コンソール14台、電源車13台で予算総額3億円。

 

 

競技場(フィールド)内に8つのステージが放射線上に築かれ、各ステージに出演ミュージシャン(バンド)毎の楽器を配置。ステージに出演者が上がると、そのステージごとレールでセンターに移動して演奏するという、凝った演出が施されました。これはセットチェンジにかかる時間を省略するため、フィールド内に観客席を設置しないための工夫でした。

 

TVではなく、AM・FMラジオ全国64局をジャックして放送された、ビッグイベントでした。

 

国立競技場初の音楽イベント

 

今でこそ珍しくない国立競技場でのライブイベントは、これが史上初。

 

 

それまで芝生の管理上、スポーツ以外のイベント開催には厳しいハードルがありましたが、なにせ本イベントの主催は日本民間放送連盟・音声放送委員会と国際青年の年推進協議会。後援が国際青年年事業推進会議、総務庁、文部省、労働省、郵政省とあって、許可が下りました。

 

ちなみに本イベントの「協賛(メインスポンサー)はLIONです。

 

開催の趣旨

 

この1985年は国連が提唱した「国際青年年」。本イベントは「“参加” “開発” “平和” のスローガンを広く伝えるため、ニューミュージック系アーティストが“心の交流” を体現する」という趣旨のもとに開催されました。

 

出演アーティスト

 

アルフィー、アン・ルイス、イルカ、オフコース、加藤和彦、後藤次利、坂本龍一、財津和夫(チューリップ)、サザンオールスターズ、さだまさし、佐野元春 with THE HEARTLAND、白井貴子、高中正義、高橋幸宏、武田鉄矢、はっぴいえんど(大滝詠一、鈴木茂、細野晴臣、松本隆)、ブレッド&バター、松任谷由実、南こうせつ、山下久美子、吉田拓郎、ラッツ&スター

(五十音順)。

 

このほかにもチェッカーズ、渡辺美里、薬師丸ひろ子(吉田拓郎への花束贈呈役)などの“シークレットゲスト“も出演しています。

 

当時のミュージックシーン

 

本イベント前年の1984年12月、アフリカの飢餓への支援、チャリティを目的にアイルランドとイギリスのミュージシャンが結成したBand Aid(バンド・エイド)の「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」がリリース。

 

1985年3月にはマイケル・ジャクソン、ボブ・ディランら、全米トップアーティストが参加した「USA for AFRICA」の「ウィ・アー・ザ・ワールド」がリリース。

 

こうした動きが日本のミュージシャンに影響を与えたことは、間違いないでしょう。

 

>Band AidとUSA for AFRICA のチャリティー・ムーブメントについて、詳しくはコチラ

開催までの経緯

 

この3年前の1982(昭和57)年、小田和正が「日本版グラミー賞をやろう」と吉田拓郎、松任谷由実、矢沢永吉、さだまさし、松山千春、加藤和彦らを集めて飲み会を開催したことが前史と言われます。

 

この「日本版グラミー賞構想」は結局、放送局や事務所の利害が壁となり実現しませんでしたが、小田が当時、民放ラジオ局64社の制作演出部会長だった亀渕昭信氏(オールナイトニッポンでおなじみ)に相談していたことから、1985年「国際青年年」にあたって音楽の力で何かやれないか、と日本民間放送連盟が提案。

 

その後、小田と吉田がリーダーシップを執って本コンサートの開催が実現しました。

 

 

ユーミン曰く、「亀渕さんから話を聞いたけど、なかなか話が進まなくて。次に企画側と吉田拓郎さんや高中正義らアーティスト20名くらいでホテルに集まったんだけど、まだ男連中がグジャグジャ揉めて。私がキレて『アンタたちはっきりしなさいよ!やるんならやる、やらないならやらないで時間取ってもしょうがないよ』と怒鳴りつけて、ようやくやることに決まったの」(笑)。

 

賛否両論

 

今のような「音楽フェス」というものが一般的でないこの当時、事務所はレコードレーベルの垣根を超えた「ジョイント・コンサート」の開催は、かなり面倒だったようです。

 

かつての海外ミュージックシーンでの「ウッドストック」への憧れが強くあり、さまざまなアーティストが企画するも、その多くは面倒な「大人の事情」に阻まれて頓挫。

 

この時も「レコード『今だから』のプロモーションイベントには協力できない」と頑なに参加拒否を表明するプロダクションがいたそうです。

 

また、「皆とやるのはテレ臭い」と“らしい“理由の井上陽水、「スケジュールが合わない」という松山千春とRCサクセションなど、呼びかけられたものの不参加の人気ミュージシャンもいて、若手のミュージシャンの中には「趣旨がよくわからない」と批判する者もいたと言われています。

 

 

先行シングル「今だから」

 

「ALL TOGETHER NOW」開催直前の6月1日。

 

イベントに出演する松任谷由実、小田和正、財津和夫がレコード会社の枠を超えて共作したシングル「今だから」がリリースされました。

バックミュージシャンは坂本龍一、高橋幸宏、後藤次利、高中正義という超豪華なメンツ。

 

 

1985年の年間シングル・チャートでは16位のヒットとなりました(36万枚)。

 

 

出演順と演奏楽曲

 

1985年6月15日土曜日。野外のためなにより雨天が心配されましたが曇り空で、国立競技場には6万人を超える観客が集まりました。

 

▼オープニング映像~吉田拓郎&オフコース

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開演は午後4時。聖火台の下でファンファーレが演奏され、司会役の吉田拓郎が登場して開会を宣言。イベントがスタートしました。

 

①吉田拓郎&オフコース

 

トップバッターは「言い出しっぺ」の吉田拓郎とオフコースの共演。

 

オフコースのバックで吉田拓郎が「お前が欲しいだけ」を歌い、オフコースの「Yes・No」では吉田拓郎がコーラスに参加しました。

 

②ALFEE

 

2番手にはALFEEが登場。

「ジェネレーション・ダイナマイト」「鋼鉄の巨人」「星空のディスタンス」

 

③アン・ルイス&ラッツ・アンド・スター

 

3番手はアン・ルイスとラッツ・アンド・スターが共演。

 

「アクエリアス〜レット・ザ・サンシャイン・イン」(フィフス・ディメンションのカバー)」「君の友だち」(ダニー・ハサウェイのカバー)

 

④山下久美子&白井貴子

 

4番手は山下久美子と白井貴子が共演。

 

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「こっちをお向きよソフィア」「So Young」(山下久美子)、「ロックンロール・ウィドウ」(白井貴子、山口百恵のカバー)、「今夜はイッツ・オール・ライト」「Chance!」(白井貴子)

 

白井のバックにはコーラスで渡辺美里、ギターはVOW WOWの山本恭司が参加しています。

 

番外編 武田鉄矢

 

続いては「番外編」として武田鉄矢が登場。「ラジオ体操」をして場を和ませ、「贈る言葉」を歌いました。

 

ちなみに武田鉄矢さんは後年、「あるツテを頼りに矢沢永吉さんに出演をお願いしたけど、『出ない』と断られた」と明かしています。

 

⑤さだまさし・南こうせつ&イルカ

 

5番手はさだまさし、南こうせつ、イルカの共演。

 

3人で「まんまる」(さだまさしのカバー)「愛する人へ」(南こうせつのカバー)「すべてがラブ・ソング(イルカのカバー)を歌い、「秋桜」(さだまさし)、「なごり雪(イルカ)「神田川」(南こうせつ)を演奏。

 

⑥チューリップ・つのだ☆ヒロ・ブレッド&バター+チェッカーズ

 

6番手はチューリップ、つのだ☆ひろ、ブレッド&バターが共演。

 

ここでシークレットゲストのチェッカーズ が登場。全員で「涙のリクエスト」「心の愛」(スティーヴィー・ワンダーのカバー)を演奏。

 

⑦はっぴいえんど 大滝詠一・細野晴臣・鈴木茂・松本隆

 

7番手はこの日のハイライト。伝説のバンド「はっぴいえんど」の再結成ステージです。

このステージが、結果的に最後の「はっぴいえんど」になりました。

演奏楽曲は「12月の雨の日」「風をあつめて」「花いちもんめ」「さよならアメリカ、さよならニッポン」

 

この時のアレンジが「いかにもYMO以降のテクノ、デジタルな感じ」で、松本隆さんが電子ドラム「シモンズ」を叩いてます。いま聴くと「これはこれでアリ」な気がしますが、リアルタイム世代のファンはどう感じたのでしょう。

 

このステージは、後にライブアルバム「THE HAPPY END」としてリリースされました。

 

⑧サディスティック・ユーミン・バンド 松任谷由実、加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利、坂本龍一・小田和正・財津和夫

 

8番手はこの日のもう一つのハイライト、サディスティック・ミカ・バンドならぬ「サディスティック・ユーミン・バンド」です。

 

メンバーは松任谷由実、加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利、坂本龍一・小田和正・財津和夫 という豪華すぎるメンツ。

 

「DOWNTOWN BOY」(松任谷由実)

「MERRY CHRISTMAS MR.LAWRENCE」(坂本龍一)〜「シンガプーラ」(加藤和彦)〜「京城音楽 -SEOUL MUSIC(イエロー・マジック・オーケストラ)〜「渚・モデラート」(高中正義)〜「THE BREAKING POINT」(後藤次利)

「タイムマシンにおねがい」(サディスティック・ミカ・バンド)

 

 

「今だから」(松任谷由実・小田和正・財津和夫)

 

 

➈佐野元春 with the Heart Land & サザン・オールスターズ

 

そして9番手、この日のトリは佐野元春 with the Heart Landとサザンオールスターズが務めました。

 

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まずは佐野元春が「Young Bloods」「New Age」「Happy Man」を披露し、サザンを紹介。

 

「悪魔とモリー」(ミッチー・ライダーとデトロイト・ホイールズのカバー)〜「マネー」(バレット・ストロングのカバー)〜「ツイスト・アンド・シャウト」(アイズレー・ブラザーズのカバー)のメドレーと、「ユーヴ・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー」(ミラクルズのカバー)、「夕方 Hold On Me」(サザンオールスターズ)を共演。

 

ちなみに「Young Bloods」は、国際青年年記念テーマソングでした。

 

エンディング「ALL TOGETHER NOW」

 

そしてエンディングは出演者全員でこの日のためのオリジナルソング

「ALL TOGETHER NOW」(作詞:小田和正/作曲:吉田拓郎/編曲:坂本龍一)

でフィナーレを迎えました。

 

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「ニューミュージックのお葬式」の意味

 

いまではWikipediaなどで「細野晴臣がこのイベントを『ニューミュージックの葬式』と評した」とされていますが、大滝詠一さんは「ロッキングオンJAPAN」のVol.4(1987年)で「あの後そろって雑誌に書かれた『ニューミュージックのお葬式』ってことを一番最初に言ったのは僕です、しかも出る前に。」と語っているのです。

 

大滝詠一さんはこの時の「はっぴいえんど」再結成に、並々ならぬ覚悟を持って望んでいました。そして再結成につながった、メンバーが久々に集う機会で、こんな会話があったと明かしています。

 

 

「このイベントのことをニューミュージックのお葬式だと悪口言ってるやつもいるらしいんだよ。どうせお葬式なら、逆に俺たちが出てっても面白いかもね」

「はっぴいえんどなんて今の客は知らないだろうな」

「いっそのこと新人グループだと嘘ついてステージに上がろうか」

 

この時の会話が、たまたま「細野晴臣さんのもの」として、メディアに広まっただけなのだろうと思います。

 

誰が言ったかは大した問題ではありません。それよりもこの「お葬式」という形容が、ズバリその通りになったことが興味深いのです。

 

このイベントが行われた1985年、もはや「ニューミュージック」という括りそのものが古臭く、意味をもたなくなっていました。

 

「ニューミュージック」という括り自体、当時を知らない世代には意味不明でしょう。

 

「レコード会社が発注した作詞家・作曲家先生ではなく、自作の楽曲を歌うシンガーソングライター(やグループ)の音楽」を指したり、「洗練された洋楽チックなアレンジの楽曲」を指す曖昧な定義です。「フォークに比べたらニュー」的な意味合いもあります。「歌謡曲、演歌、フォークでないからニューミュージック」「若い人の感性に合うならニューミュージック」とも言えます。

 

その意味で言うとこのイベントは、吉田拓郎や小田和正、ユーミンや「はっぴいえんど」らの世代から始まり、佐野元春、サザンオールスターズ らの世代が登場したところで終わっています。

 

そしてこのイベント直後、ミュージックシーンでは「バンドブーム」が起こります。

 

レベッカ 「REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜」がまさに1985年11月リリース。BOØWYが「BEAT EMOTION」で爆発的に売れたのが1986年。ザ・ブルーハーツは1985年結成、メジャー・デビューが1987年。以降、プリンセス プリンセス「LET’S GET CRAZY!」(1988年)ユニコーンの「服部」(1989年)…と続いていきます。

 

このバンド・ブームはイコール、「ロックの時代」。

ちょうどこの1985年が、その転換期だったのです。

 

では「ニューミュージック」は「お葬式」後、どうなったのか。

このカテゴリは1989年頃から「J-POP(ジャパニーズなポップス)と言われるようになりました。

 

オンエア・とソフト化

 

この「ALL TOGETHR NOW」は前述の通りAM・FM・短波の民放ラジオ放送全国64局で、1985年6月29日・30日、7月6日・7日何れかの日の任意の時間に、2時間の特別番組として放送されました。

当時のリスナーはこの録音カセットテープを文字通り擦り切れる程、繰り返し楽しみました。

 

 

その後、「秘蔵音源が見つかった」として2013年5月4日・5日に全民間放送AM・FM・短波100社で特別番組『ALL TOGETHER NOW 2013 by LION』として、再びオンエアされました。

 

 

 

しかしながら、公式な音源CDや映像ソフトはリリースされていません。おそらくは権利問題がややこし過ぎて事実上不可能、なのでしょうけども…

 

日本の音楽史を彩る貴重&重要過ぎるデータとして、ノーカットでリマスター・リリースして欲しいと切に願います。

 

 

コメント

  1. いち より:

    実はぼんやりとしか覚えてないし若干否定的だった気がします。
    多分これから始まるすバンドブームにすでに流され始めていたのかなと。
    今見るとすごいんですけどね。
    けど僕はLIVE EPIC 25の方が好きです笑

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!そうなんですよね、いまにしてみるとものすごいメンツが集結してるのですが、当時はややしらけた空気の方が強かったように感じます。私は世代的に桑田&吉川の「Merry Xmas Show!」がワクワクしました。

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