リッキーvsスヌーカ 〜1981 プロレス新時代の幕開け

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リッキー_スヌーカ

新日プロ 藤波vs長州による「名勝負数え歌」(1982年〜)の約1年前。

1981年の全日プロで繰り広げられた名勝負が、

“南海の黒豹”
リッキー・スティムボート
vs
“スーパーフライ”
ジミー・スヌーカ

戦です。

 

当時11歳、小学生の私は土曜夕方の全日本プロレス中継でこの試合を観て「新しいプロレスのカタチ」に触れ、衝撃を受けました。

 

怪物みたいな巨大なオッさん同士のぶつかり合いだと思っていたプロレスで、初めて「カッコイイ」と感じた試合。

 

中量級の若い選手同士の、こんなスピーディな空中戦(立体殺法と呼ばれていました)は、見たことがありませんでした。

 

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リッキー&ジェイvsハンセン&ブロディ

 

リッキーの名勝負、といえば翌1982年末、ジェイ・ヤングブラッドと組んでの世界最強タッグ開幕戦、後楽園ホールでの超獣コンビ(ハンセン・ブロディ)戦が有名です。

 

 

圧倒的な体力差を跳ね返す気の強さとスピードで、リッキーは一躍、株を上げました。

 

しかし、私にとっての印象はやっぱり、スヌーカ戦なのです。ついでに言えば、その後の三沢タイガーNWA戦や新日プロでのムタ戦などは記憶から抹消してます(笑)。

 

 

 

リッキーvsスヌーカ

 

今回、YouTubeで久しぶりに両者の対戦を観ました。

1981年6月3日。両者の対決は「アメリカ、ミッドアトランティックやカナダでのドル箱カードを全日マットで再現(by倉持アナ)」したものでした。

 

当時、リッキー28歳、スヌーカ36歳。

 

リッキーは前年の最強タッグ(パートナーはディック スレーター)で初来日。開幕戦のブッチャー、カマタ戦でいきなり好ファイトを見せ人気が爆発。鶴田やマスカラスとのシングルマッチが組まれるなどして、この時が半年ぶりの待望の再来日でした。

 

一方のスヌーカは実に6年半ぶり3度目の来日(初来日は日本プロレス、全日プロは2度目)。“スーパーフライ”の異名でアメリカマットでブレイク中で、全日マットでもこの年からブロディのタッグパートナーとなり、年末の最強タッグで見事優勝を成し遂げました(かの有名なハンセン乱入事件の時です)。

 

 

スヌーカが怪奇派の雰囲気を漂わせるベテランの悪者(ヒール)で、リッキーがスマートな若手の善玉(ベビーフェイス)、というのも見た印象そのまんまで、実にわかりやすいですね。

 

また、この二人、鍛え上げられた肉体美でグッドシェイプ。いま見れば明らかにボディビルで造られた「見せるための筋肉」ですが、ぽっちゃりあんこ型だらけの当時の全日マットでは、別格のカッコよさでした。

 

また正直、いま見れば大したことない「空中戦」「立体殺法」なのですが、この当時、マスカラスはすでに「飛べなくなって」いましたし、重量級かつベテラン揃いのプロレス界では、ロープを縦横無尽に使ってのリープフロッグ、完全に空中に浮いたアームドラッグなど、これでも十分、画期的でした。

 

「思いっきりアメリカンプロレス」なだけあって両者共にオーバーアクションが鼻につきますが、若さに任せてけっこうハードなバンプ(受け身)をとってます。これなんかも後のWWFスタイルの先駆的なものともいえますし、試合開始直後からフルスロットルでスピードを上げる試合展開は、後の「ハイスパートレスリング」の始祖的なスタイルかもしれません。

 

 

日本人の血を引くリッキー大人気

 

試合を観てもリッキーの会場人気は、ものすごいものがあります。

 

母親が日本人で黒い髪と黒い瞳を持ち、得意技はカンフーチョップ。見た目によらず負けん気が強く、追い込まれてからの逆襲スタイルは、実に日本人好みで、瞬間風速ではテリーファンクを超えるアイドル人気でした。

 

当時、日本人のカッコイイベビーフェースが不在で、かつ大型選手のスローモーな試合ばかりだった全日プロにおいて、YMOの「ライディーン」に乗って颯爽と登場するリッキーは、際立って恰好よく見えました。やはり若嶋津でもレイ・セフォーでもなく、“南海の黒豹”はリッキーなのです(強調)。

 

ちなみに…当時は「スティンボート」とか「スティムボート」と呼ばれていましたが、「スティームボート(蒸気船)」なんですよね…ずいぶん経ってからこの事に気がついた時には、「ロープウェーは実はロープウェイ」とか「パイナップルはパインアップル」「ステンレスはステインレス」並みの衝撃でした(わかりづらい)。

 

 

怪奇派ヒールなのにカッコいいスヌーカ

 

また当時、子供心に絶対的悪で不気味なスヌーカが、どうしようもなく魅力的に映るのも衝撃的でした。

 

スヌーカはいま見るとプロレス自体は決してうまくないというか、引き出しが少なく、カラダも固いのですが、褐色の肉体美、仮面ライダーアマゾンのような怪しく獰猛な雰囲気、時折放つ抜群の跳躍力で、リッキーの華を凌駕する瞬間があり、それもまた、この2人の対決の魅力でした。

 

 

たった2試合だけ?

いろいろ調べてみると、この両者の対決は81年6月3日と、その翌週の81年6月10日の再戦があったようですが・・・

 

全日マットでのシングルマッチは、まさかたった2試合??

 

私の中では藤波長州戦くらいに毎週毎週、抗争を繰り広げていた印象があるのですが、もしかしたらたった2試合で勝手にイマジネーションを広げていたのかもしれません・・・

 

実況を聞くとこれ以前にカナダでの両者の対決がテレビ放送されたようですし、「鶴田・リッキー組vsデストロイヤー・スヌーカ組」のタッグ戦なども放送されたようで、YouTubeで見つけました。

 

 

特に記憶にあるのは、リッキーがスヌーカに凶器攻撃で大流血、リッキーがその凶器をキックで奪い取って雄たけびをあげながら反撃…という展開。

 

果たしてシングルマッチだったのか、今となっては自信がありませんが、テレビの前で身震いするぐらい興奮したんですよねぇ。。。

 

 

その後のリッキー&スヌーカ

 

両者はこの後、アメリカマットでもトップレスラーとして大活躍します。

 

スヌーカは1983年、NY MSGの金網最上段からのスーパーフライで大ブレイク。WWF全米侵攻ではベビーフェイスのスーパースターとなり、初期のレッスルマニアのキーパーソンの1人となります。1985年からはブロディのパートナーとして新日マットでも活躍しましたが…なんと2015年に殺人事件の容疑者として逮捕され、不幸な晩年を送り2017年に死去しました。

 

一方のリッキーは1985年にWWFへ移籍。1990年には新日マットに登場しましたが、ムタとの試合は凡戦で酷評を浴びました。アメリカマットではフレアーの好敵手として名を馳せ、末期ですがNWAチャンプにもなり三沢タイガーマスクと日本で防衛戦も行いました。その後、WWFに移り初期レッスルマニアでランディサベージらと名勝負を繰り広げ、その後もレジェンドとして長く活躍。現在も幸せな人生を送っているようで、なによりです。

 

 

残念ながら藤波のジュニア時代には間に合わなかった私にとって、新時代のプロレススタイルを初めて体験した試合、として、この両者の対決は、実に思い出深い対戦なのでした。

 

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