SWSとは何だったのか?①1990年~天龍全日離脱、旗揚げ戦!

※当サイトで掲載している画像や動画の著作権・肖像権等は各権利所有者に帰属します。

早いものでSWS騒動からもう15年以上が経つのですね…当ブログの「UWFとは何か?」シリーズで取り上げたUWFが「プロレスの格闘技化実験運動」であったのに対し、このSWSは「企業スポンサードプロレス」の実験といえる事件でした。

 

まずはSWSの歩みを可能な限り時系列で振り返りつつ、コメントをしていきます。

 


スポンサーリンク

​●イントロダクション

 

馬場・全日は1972年の旗揚げ以来、激動の猪木・新日に比べれば派手さはないものの、マイペースで安定した団体運営を続けているように見えた。

 

ブッチャー流出からの新日との仁義なき引き抜き合戦もシン、ハンセン、キッド&スミスを獲得して事実上勝利し、新日のクーデター騒動の際には長州率いるジャパン勢、さらにはタイガーマスクのライセンスまで棚ボタで獲得に成功。

 

80年代前半の猪木新日ブームの裏で激しさを増していた日テレからの馬場降ろしの風も止み、80年代後半からは長州が抜け危機感を強くし決起した天龍とエース鶴田の抗争が盛り上がり、武道館を常打ち会場にするまでになっていた。

 

90年4月19日

横浜文化体育館で鶴田vs天龍の三冠ヘビー級戦がマッチアップ。

 

鶴龍対決は実に7度目、戦績は若手時代の2引き分けを除けば3勝3敗だったが、この試合は不可解なハンセン乱入からの波乱の幕開けとなり、12分32秒、 バックドロップホールドで鶴田が勝利し2度目の防衛に成功する。

この試合前、天龍は「ジャンボに負けたら(全日を)辞めるよ」と親しいゴング誌小佐野記者に漏らしていた、という報道がなされ、天龍の動向に注目が集まる。

 

90年4月26日

天龍が全日を辞め、メガネスーパーがスポンサーの新団体に参加する事が発覚。90年代は全日プロが激震に見舞われるというまさかの展開で幕開けした。

 



1990年

●天龍全日離脱、SWS発足

 

天龍は4月23日に辞表を手に馬場と会談。その席で天龍は新興団体メガネスーパーから誘われていることを打ち明けたが、その場では結論は出ず、とりあえず馬場が辞表を保留。しかし26日に東京のキャピタル東急ホテルで再び会談が行われ、馬場は押し切られる形で天龍の辞意を了承する事となった。

天龍はマスコミに対し

「馬場さんとの話し合いで円満に退社を認めてもらいました。これからはメガネスーパーの資金援助を受けて新しく天龍部屋のような物を作り、メガネスーパーさんが用意してくれるリングに上がります」

と胸のつかえが下りたような表情で語り、一方の馬場も

「天龍がメガネスーパーに行く事になりました。天龍とは今日を含め、何回か和やかに話し合ったけど… すべて綺麗な話が出来たと思う。将来は天龍部屋みたいな物と全日本との間で対抗戦が行われることもあり得る」

と語っている。

↑この時点ではまだ天龍の退団だけで済んで欲しい、と思いつつ当然それだけで済むワケもなく、水面下で事態は大きく動き始めていました。

翌4月27日、ジョージ高野、佐野直喜の2選手が大会を欠場、新日からの脱退が表面化。高野と佐野の離脱は天龍新団体への合流、という見方が強まる中、5月7日に高野が正式にメガネスーパー新団体参加の意向を表明。

 

そして5月10日、東京・ホテルオークラで「株式会社メガネスーパー・ワールド・スポーツ設立発表会」田中八郎メガネスーパー代表取締役社長、富永巽総務部次長、所属選手天龍が出席しSWSの発足を発表

↑ちなみにこの直後、5月14日東京体育館での全日 スーパーパワーシリーズ開幕戦において川田と組み谷津・冬木と対戦した2代目タイガーがマスクを脱ぎ、三沢光晴として大声援を浴びました。

 

 


●相次ぐ離脱者、部屋制度の発表

 

5月15日 若松市政の入団と道場主就任を発表
6月 5日 高野の入団と道場主就任を発表
6月27日 横浜仮道場完成披露パーティーにて桜田一男、鶴見五郎、片山明が所属選手として出席
7月 2日 全日を退団したサムソン冬木、高野俊二ら5名の入団を発表
7月11日 石川敬士の入団を発表
7月12/13日 第1回新人オーディション開催 元新日の大矢健一、元全日の平井伸和ら6名が合格
8月 7日 ザ・グレート・カブキ、谷津嘉章の入団、米沢良蔵の取締役就任を発表
8月23日 アメリカから帰国した佐野の入団が正式発表
8月29日 維新力の入団と、新倉史祐のフリー参戦が発表
8月30日 事業概要発表会披露パーティー(ホテル・オークラ)にて、天龍率いる『レボリューション』、若松率いる『道場「檄」』、高野率いる『パライストラ』の3つの部屋の正式名称と選手の振り分け、9月の旗揚げ戦を発表

 


●激震の両団体

 

馬場・全日は複数年契約を提示して離脱者の引き留めを行うが、結果として中堅選手とスタッフまでが大量離脱。特に相次ぐ離脱がひと段落し、一致団結していこうとした最中の谷津とカブキの離脱はショッキングで、一時崩壊の噂も流れた。

谷津は離脱の理由を「ウィリアムス戦で負った負傷と、全日が入院治療費を払ってくれなかったから」としたが、馬場はこれに対し「ウチは領収書なり請求書なりを提出したらきちんと払っている。契約書にもその旨記載がある」と反論している。

カブキはシリーズ前に2年契約で更新、契約金も受け取っていたがサインはせず。7月30日に馬場と会談し、鶴田と保持していた世界タッグ返上と併せて退社の意向を伝えた。理由としては「天龍がいないところでやっていたってしょうがないと(シリーズ終了2日前に離脱を)決めた」と語っている。もう一人の米沢氏は全日の取締役渉外部長。

 

一方の新日は過去にUWF、ジャパン勢など度々大量離脱に見舞われていた経験を活かし早急な慰留工作を行い、主力級の離脱を食い止めた。同時にジョージ高野と佐野に関しては法的措置を取り、星野などのベテラン選手が道場に泊まり込み若手を監視していたという。


●旗揚げ戦

 

9月29日 天龍のお膝元である福井市体育館でプレ旗揚げ戦『越前闘会始』を開催

↑メインは天龍・石川vs谷津・高木という元全日勢のみのタッグマッチ(天龍が高木をKO)ですが、目玉の1DAYトーナメントではジョージvs鶴見、佐野vs北原、佐野vs冬木、高野兄弟対決などSWSならではのカードも組まれましたが、この模様は福井ローカルテレビ局のみの放送でした。

SWS プロレス 越前闘会始 1990

 

 

10月18/19日 横浜アリーナ 旗揚げ2連戦『闘会始’90』

↑初日は1DAYタッグトーナメント、高野兄弟組がカブキと組んだ天龍からピンフォール勝ちで優勝。
2日目のメインは天龍vsG高野、天龍が雪辱。旗揚げ戦でエースが敗れるのはある意味定番ではありますね。
そしてこの模様は10月21日にテレビ東京で放送され、私はテレビ観戦しました。冒頭から天龍の移籍に対する釈明的なコメントが続き当時の空気を感じます。肝心な試合はDJ風?の英語混じりの斬新な実況、不慣れなテレ東のカメラワークに非難轟々だったのしか覚えていません。

いま改めて観ると当たり前ですが天龍もジョージも若く、結構盛り上がってますね…当時は天龍と高野の試合に「ストーリー」がない

せいで、激しい試合にも関わらず“なんとも空虚な試合”、に感じた記憶があります。

SWS プロレス 闘会始90 Ver.1 1990

10月16日 ドン荒川の入団を発表
11月 1日 北尾光司の入団を発表

↑一気に不穏さが増しますねこの2人。ドン荒川さんは2017年11月、お亡くなりになりました。合掌。

 


 

11月10日 新横浜仮道場で道場マッチ『登竜門』を開催(この日含め計5回開催)

 

↑この道場マッチは試合のない昼間に500円で観ることができました。私は当時、ここからバイクで10分ほどの所に住んでいたので1、2度 観に行った記憶があります。横アリから少し離れた場所に、トレードマークのティラノサウルスがシャッターに描かれた真新しい物流倉庫のような立派な道場があり、北尾と北原がいたような…超至近距離での試合はスパーリングのようなものでしたが、とにかくリングの生音が大迫力で、それなりに楽しめました。そして、

11月20日 WWFとの2年間の業務提携締結を発表

して激動のSWS旗揚げ1年目は終了しました。

つづきます!

コメント

タイトルとURLをコピーしました