「LIVE AID」〜1985 空前絶後のスーパー チャリティ イベント クイーン復活のステージ


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今回は、クィーン復活のステージとして有名な、1985年のライブエイドをご紹介します。

1984-1985(昭和59-60)年、英国の「Band Aid」、米国の「USA for Africa 」は一大ムーブメントを世界中に巻き起こしました。

その後、Band Aidを主催したボブ ゲルドフは、収益の使途不明を避けるために「バンド エイド トラスト」とする管財人グループを結成し、徹底して現地への支援を続けました。

 

そして1985年6月10日、ボブ ゲルドフは「LIVE AID」の構想を発表。

1985年7月13日昼からスタートした公演は84ヶ国への同時生中継、VTR放映を含め140カ国、計20億人が視聴した、世界最大規模のミュージック フェスティバルとなりました。


 

◆イギリス ステージ

 

イギリスでは国家イベント級の盛り上がりを見せ、チケットは発売からたった5分でソールドアウト。会場のロンドン ウェンブリー スタジアムには約8万人の観衆が詰め掛けました。

来賓としてチャールズ皇太子とダイアナ妃が駆けつける中、

 

▪ステイタス クォー
がオープニングを務め、

 

▪スタイル カウンシル

に続いて、主催であるボブ ゲルドフの
▪ブームタウン ラッツ

 

ミッジ ユーロの
▪ウルトラヴォックス

が登場。

 

その後、

▪スパンダー バレエ
▪エルヴィス コステロ
▪スティング
▪フィル コリンズ
▪ハワード ジョーンズ
▪ブライアン フェリー&デヴィッド ギルモア(ピンク フロイド)
▪ポール ヤング
▪U2
▪ダイアー ストレイツ

 

その後、フレディ マーキュリー率いる
▪クィーン

 

▪デヴィッド ボウイ

と続き、

 

この日をきっかけに再結成した
▪ザ フー

 

▪エルトン ジョン
▪ワム!

 

そしてトリは

▪ポール マッカートニー。

 

噂されたジュリアン レノンを加えた「ビートルズ再結成」はなかったものの、「レット イット ビー」の終盤ではボブ ゲルドフ、アリソン モイエ、デヴィッド ボウイ、ピート タウンゼントが飛び入りでコーラスを務めました。

 

そしてフィナーレの「ドゥ ゼイ ノウ イッツ クリスマス」は会場全体での大合唱で、幕を下ろしました。

 

会場での一番人気はワム!だったそうですが、この日の中ではなんといってもクイーンのステージが圧巻でした。
当時、人気が落ち目で解散寸前と噂されていたクイーンはこのライブエイドで完全復活しました。

 

映画「ボヘミアン ラプソディ」では”フレディのソロ活動によるバンド解散危機~活動休止明けの復活ステージ”、そして”フレディが自身のHIV感染を知った上での決死のステージ”、として描かれていますが・・・それらはいずれも史実とは異なり、アルバム「ザ ワークス」リリース後のワールド ツアー ファイナルから2か月後であり、フレディがHIV感染を知ったのはライブエイド後だった・・・というのがリアルです。

 

ただ、当時のクィーンが一時期の勢いを失っていた時期であまり期待されていない存在だったにもかかわらず、このライブエイドで最も評価されたステージがクイーンだった、というのは紛れもない事実です。当時、「クィーンってこんないいバンドだったっけ」「フレディってやっぱりスゲーな」という感想があちこちで聞かれたのを思い出します。(私的にはデヴィッド ボウイとの「アンダープレッシャー」共演が観たかったですが・・・(笑))

 

>関連記事:「クィーン」とは何か?〜 1971-1995 “傾奇者“フレディとクィーンが日本で愛される理由

 


 

◆アメリカ ステージ

 

アメリカも9万枚のチケットが4時間でソールドアウト。空前の盛り上がりを見せる中、フィラデルフィア J.F.ケネディ スタジアムに10万人以上が詰めかけ、炎天下の下、時差の関係で英国より数時間遅れで開演します。

 

▪ジョーン バエズ
のアカペラで始まったステージは、

▪ビリー オーシャン
▪ブラック サバス featuring オジー オズボーン
▪RUN D.M.C.
▪リック スプリングフィールド
▪REOスピードワゴン
▪クロスビー スティルス&ナッシュ
▪ジューダス プリースト
▪ブライアン アダムス
▪ビーチ ボーイズ
▪ジョージ ソログッド&ザ デストロイヤーズ、アルバート コリンズ
▪シンプル マインズ
▪プリテンダーズ
▪サンタナ、パット メセニー
▪アシュフォート&シンプソン、テディ ペンダーグラス
▪マドンナ
▪トム ペティ&ハートブレイカーズ
▪ケニー ロギンス
▪カーズ
▪ニール ヤング
▪パワー ステーション (ボーカルはマイケル デ バレス)
▪トンプソン ツインズ、スティーヴ スティーヴンス、ナイル ロジャース、マドンナ
▪エリック クラプトン
▪フィル コリンズ

英国会場からコンコルドで米国会場に移動して来たフィル コリンズ(唯一の2ステージ出演)がロバート プラント、ジミー ペイジ、ジョン ポール ジョーンズを呼び込み、

▪レッド ツェッペリン
まさかの再結成。フィル コリンズとトニー トンプソン(シック、パワー ステーション)とのツインドラム。

その後、

▪デュラン デュラン
▪パティ ラベル
▪ダリル ホール&ジョン オーツ
▪エディ ケンドリックス、デヴィッド ラフィン(元テンプテーションズ)
▪ミック ジャガー
▪ティナ ターナー

と続き、トリは

▪ボブ ディラン

その後のフィナーレは、
▪ライオネル リッチー、ディオンヌ ワーウィック、ハリー ベラフォンテ、シーナ イーストン、ピーター ポール&マリー、シェール、ビル グラハム、クリッシー ハインド、その他による「ウィ アー ザ ワールド」。飛び入りが噂されたブルース スプリングスティーン、マイケル ジャクソン、スティービー ワンダーは結局、出演せず。しかしフィナーレはイギリス同様、大合唱となりました。

https://youtu.be/zChZdQGLYs4

 

アメリカではテレビ、ラジオ合わせて107局で中継。MTVでは終了までの20時間以上に渡って放送。

 

このステージではマドンナが「楽屋で偉そうにしていた」と顰蹙を買ったり、ストーンズのキース リチャーズとロン ウッドを従えて登場したトリのボブ ディランが練習なしのぶっつけ本番、モニタ スピーカーなし、裏では他の出演者が「ウィー アー ザ ワールド」を練習し始めるなど悪条件が重なって散々な出来となり、ほかのフォーク勢と共に「化石」「みすぼらしい」などと散々に酷評されました。

 

逆に英国出身のデュラン デュランが一番人気、ホール&オーツも高評価でしたし、なによりツェッペリン再結成は大きな話題となりました。

 

しかし、私にとっての「LIVE AID」は、これら超ド級のステージではなく、ミック ジャガーとデヴィッド ボウイの夢の共演PV「Dancing In The Street」に尽きます…←個人的見解です。

 


 

◆伝説のズンドコ中継、フジテレビ

 

日本ではフジテレビが放送権を獲得して7月13日午後9時から7月14日正午まで「THE 地球CONCERT LIVE AID」として生中継

司会の逸見政孝アナウンサーは洋楽の知識がほとんどなく、南こうせつさんとの組み合わせも意味不明でしたし、なによりこれほど長時間の衛星生中継は前代未聞、そして英国と米国の二元中継ということで現場は大混乱。

 

見たいアーティストが流れない、曲の途中でCMが入る、どうでもいいスタジオ トークや日本のミュージシャンによるステージが放送される、棒読みの同時通訳が酷すぎる、などなど苦情が殺到し、放送事故レベルのズンドコ番組として、悪い意味での伝説となっています。

 

司会の逸見アナは「視聴者の皆様から、アメリカ会場から中継している時はイギリス会場を映せ、イギリス会場から中継しているときはアメリカ会場を映せと言う苦情がフジテレビに殺到しております。ライヴエイドの中継はすべてフィラデルフィアの中継センターが全世界へ向けて中継する映像でして、こちらには中継する映像を選ぶ権利はございません。その点をご理解頂けたらと思います」
と終始、釈明し通しでした。

 

ちなみに日本からVTR参加し世界に紹介されたのはラウドネス、オフコース、矢沢永吉、佐野元春の4組でした。

 

私も当然、楽しみに視聴しましたが・・・素直に中継を流すだけでいいのにとってつけたようなお祭り騒ぎ、余計なことばかりやらかして滑りっぱなし、で見るに堪えませんでした・・・ネットはもちろん、衛星放送もない時代の民放テレビの限界、といえばそうなのですが、この感覚はいまでも大して変わってなさそうでコワイです。

 


 

2005年にこのライブの再現を狙った「ライブ8」が日本を含む世界8ヶ国で同時開催されるなどしています。運営方法も洗練されていて評価も高かったようですが、アーティストの知名度や顔触れ、そして音楽の持つパワーと影響力を考えても、この「LIVE AID 1985」を超えるものは、もう開催されることはないでしょうね・・・。

 

1985年は昭和60年。日本では「夕やけニャンニャン」と「おニャン子クラブ」が大ブームで、この1ヶ月後にあの「日航機墜落事故」が起きています。

 

そんな記憶も含め、この「LIVE AID」は、1969年の「ウッドストック」と対をなす、1980年代を象徴する20世紀のスーパー ビッグ イベントでした。

 

 


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