1983夏 新日本プロレス「クーデター事件」~③最終回:クーデターを受けた側、猪木らの思惑 

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◆第1部 クーデターを企てたキーパソン達のそれぞれの思惑

◆第2部 クーデター決行から鎮圧まで に続き、今回は最終回

◆第3部 クーデターを受けた側、猪木らの思惑 をご紹介します!

*文中、一部敬称略

 


 

◆坂口征二

 

ギャンブル好きのあまり興行収益を横領した山本小鉄氏が現場責任者を降ろされ、代わりにマッチメイクや興行収益などの現場管理を任されたのが”世界の荒鷲”坂口征二副社長(福岡県久留米出身)です。

 

 

坂口は旗揚げ当初、ノーテレビで苦戦していた新日プロとテレ朝を結びつけた功労者であり、長く猪木を2番手として支え続けて来ました。

 

元柔道日本一、明治大学OBで警察、消防にも顔が効き、常識的で堅実な人柄で銀行など金融筋からの信頼も厚い人物(ジャイアント馬場をして「新日プロで信頼できるのは坂口だけ」)ですが、ドンブリ勘定の業界的には「ドケチ」「クソマジメ」と、選手会や営業サイドからの逆ギレに近い不満が燻っていました。

 

クーデターの標的は「アントンハイセル」への資金集めに狂奔する猪木と新間氏ですが、坂口は「両者の暴走を見過ごしている不透明な経理処理」との理由で加えられました。

 

坂口自身はクーデターの渦中も一切自らは動かず、降格されても巡業には同行し、猪木との関係も変わらないスタンスを取り続けていました。

 

結果的に藤波主導のマッチメイクでは現場が混乱するばかりとなり、非礼を働いたテレ朝出向幹部側から請われるカタチで再度、現場責任者に返り咲きました。

 

後に坂口は
「猪木さんはプロレスだけでは気が済まない。事業がやりたい。バイオとか水の研究とか、いろんなことをやった。タバスコくらいかな、儲かったのは。ああいう性格だから、周りがうまい話を持ち込むと、すぐ乗るんだ(笑)。あの人は現役時代に、ものすごく稼いでるんだけど、そういうのに、みんな使ってるんです。会社でも「おい、すぐに3000万円用立ててブラジルに送っといてくれ」って。会社への借金は、俺が社長のときに、引退興行とかして退職金を出してあげて相殺したけど。借金してまで、夢を追いかけてるんです。だからおれは、あの人が憎めないんですよ。まあ、昔から猪木さんの後始末は俺がやるって感じでね。会社が大変なときに、色々言い合っても「坂口、悪いな」って言ってくれるとね、「ああ、いいすよ、大丈夫ですよ」ってなっちゃう(笑)。サイドビジネスの件でも、「本当に悪いなあ、もうすぐこれ完成するから、そうしたらお前にはちゃんとするから」って(笑)。でもね、猪木さんは考えることがすごい。普通の人間では考え付かないことを発想する。そして、うちの会社は猪木さんが旗を振ったら、最初は「えっ」て言うけど、決まったら「わーっ」て一緒になってやるという雰囲気だった。」と語っています。

 


 

◆新間寿氏

 

 

「猪木には山本小鉄という正妻がいたが、そこに新間寿という愛人が出てきて猪木を取ってしまった。このクーデターというのは山本小鉄の犬も喰わない男の嫉妬から始まったものなのだ」

 

新間寿氏がみたクーデター事件とは?は、この本人のコメントに集約されます。実に本質を捉えた分析で、とどのつまり、この通りなのです。

 

営業本部長という役職でありながら、実質的には猪木の個人マネージャー、藤波やタイガーマスク、前田の売り出しやアリ戦を契機とした一連の異種格闘技戦、アメリカやカナダ、メキシコなど世界のプロモーターとのパイプを強化しIWGP構想の推進など「過激な仕掛け人」として新日プロブームの立役者ですが、その反面、その豪腕手法には国内外で反感を抱くものも多かった、と言われます。

 

中でもアントンハイセル事業への資金集めは熾烈を極め、選手、社員はおろかその親類縁者にまで社債の購入を頼み、自身もまだ小学生の娘の積立預金まで取り崩す状態だったといいます。

 

この際に新日プロの売上をハイセル事業へ投入したかどうかは今をもって意見が分かれていますが、売上高20億の企業で繰越利益が720万円というのは常軌を逸しており、債権回収を依頼された暴力団関係者が興行会場にまで押しかけるなど、財政面の窮状ぶりは明らかでした。

 

折しも、自らが梶原一騎と仕掛けた全日プロからのブッチャー引き抜きに端を発した引き抜き合戦(馬場全日は報復にハンセンとシンを引き抜き返す)、提携先WWFのギャラアップ要求などもあり、ガイジンレスラーのギャランティは過去最高水準にインフレします。

 

経費削減の必要に迫られた新間氏は、現場の聖域とされるマッチメイク(カート編成)にも介入し始めます。

 

当初82年の開催を予定していたIWGPを1年延期、さらに猪木の相手にラッシャー木村、藤波には長州力、タイガーマスクのライバルに小林、寺西、グラン浜田を起用するなどの日本人対決路線を進め、遂にはIWGP欧州代表枠に前田を加えるなども、新間氏による経費削減策と思われます。

 

新間氏としては興行を手堅く廻し、経費を浮かせてなんとかしのごうとしていたのですが、背広組である新間氏のマッチメイクへの介入は、選手側からの大きな反発を招きます。

 

衰えたとは言え、選手としてまだまだ圧倒的な存在感で復権した猪木に対し、新間氏は敵を作り過ぎた事に加え、根っこには「プロレスラーじゃない奴に偉そうに言われたくない」「プロレスはプロレスラーメンにしかわからない」という、プロレス界独特の感情があり、結果的にクーデターでただ1人、新日プロを追放されるカタチとなりました。

 

この一件以来、猪木とも距離が生まれた新間氏は、それでも怨念と復讐の想いから翌9月から新団体UWF設立に向けて動き出します。

 

その後はコチラで説明した通り、結局、そのUWFとも絶縁してプロレス界から引退すると表明しますが「プロレス界は引退するが猪木の個人マネージャーは今後も続ける」「明智光秀は討たれなければならない。おそらく10月の株主総会で何か変動があると思う。個人的には今後は猪木が会長になり、坂口が社長としてやっていくのが一番いいと思う」などと発言していました。

 

しかし、猪木は結果的に、新間氏を切る事で自分だけが助かる道を選んだ、と言われても仕方がない選択をしました。

 

それも含めてのアントニオ猪木なのです。

 


 

◆アントニオ猪木

 

 

猪木はなぜ、そこまでハイセル事業にのめり込んだのか?これにもまた、さまざまな要因が重なり合っていました。

 

1980年、猪木新日プロは76年のアリ戦開催で抱えた約7億円のテレ朝への負債を、異種格闘技戦の連発により無事、完済します。

 

そんな猪木にまさかの病魔が襲いかかります。1982年、猪木が39歳の海外遠征中、喉が渇いて仕方がなく、トレーニングしたくてもダルさが抜けない、食事も喉を通らない、という異変に気がつきます。帰国して病院に行くと、血糖値が590もあり(平常値は110未満)、重度の糖尿病と診断されます。それも普通の人なら昏睡状態レベル、即刻強制入院措置がとられ、医師からは「現役を続行したら命の保証はできない」とまで言われますが、猪木は「内臓疾患」とだけ公表し、夏のシリーズを1シリーズだけ欠場して復帰。

 

それ以降は血糖値を測りながらリングに上がり続ける状態でした。

 

そんな折に持ちかけられたバイオマスエネルギー事業への出資。猪木は魅力を感じ、腹心の新間氏と共に本腰を入れて取り組み始めます。

 

プロレスラー アントニオ猪木としては世界のチャンピオンベルトを統一するIWGPでピリオドを打ち、そこからはこのアントンハイセルで事業家への華麗なる転身、という野望を抱きます。その脳裏には、レジャーランドやゴルフ場経営などの実業家として夢半ばで早逝した師匠、力道山の影響もあったでしょう。

 


 

◆壮大なIWGP構想

 

当初のIWGPは、世界中のプロモーターに協力を仰ぎ、世界中で予選を行い、北米、中南米、中近東、欧州、中近東、アジアの各地区から代表選手を選出。これまで提携していたWWF、AWAはもちろん、敵対していた最大手NWAまでの北米3連盟もこの計画に賛同している、とまで言い(NWAは否定)、決勝リーグは韓国、中南米、中近東、欧州と世界中をサーキットして、決勝戦はニューヨーク、マジソンスクエアガーデン(MSG)で行う、という壮大なスケールのプランでした。

 

乱立するローカルチャンピオンベルトを統一して封印、真のワールドチャンピオンシップを作る。しかし、その後どうなるのか?についてはあまり語られていません。要は猪木としては勝ち逃げしてプロレス界からオサラバし、実業家として第2の人生を歩む事しかなく、先のことは考えていなかった、とも言えます。

 


 

◆業界再編の波にBIが極秘に結託

 

またこの当時、プロレス界は馬場、猪木の選手としての衰えと共に業界再編のさまざまな動きが水面下でうごめいていました。

 

プロレスブームで注目が高い事もあり、連日のように「新団体設立」などのゴシップ記事が報じられ、まったくのガセとは思えない妙な信憑性のある情報が流れたりしていました(今となってはほとんどガセではなく、いずれも計画はあったものの失敗に終わったケースです)。

 

そして既存団体の新日、全日共に、TV局の意向が急速に強まっていた時期でもありました。新日プロの後ろ盾であるテレ朝からの介入はアリ戦での大借金回収が理由でしたが、猪木と新間氏の活躍で見事に立ち直り一大ブームを巻き起こし、視聴率でも貢献します。

 

しかし一方の全日プロはドハデな新日に対して人気がなさすぎ、仕掛けがなさすぎ、馬場が慎重過ぎて話にならない、という空気で、日テレから馬場に対して露骨な引退要請や出向社長による経営権剥奪などの動きがありました。

 

そんな中、猪木と馬場は東京スポーツを仲介として接近。表向きは仁義なき引き抜き戦争を繰り広げながらも、陰では新間氏と坂口を交え、「ガイジン引き抜き防止協定」をはじめとする和平交渉を続け、さらには両巨頭による生き残りと、新興勢力の封じ込めを画策していました。

 

 

猪木は馬場にもハイセルの資金提供を呼びかけてもいました。「馬場さんの引退試合で儲けたあとは一緒にハイセルをやりましょう」。山師的な事を嫌う馬場はその都度、やんわりと断っていたそうですが、猪木のハイセル事業に賭ける本気度が伺えます。

 

さらに猪木は、新日プロのコミッショナーを務める自民党 二階堂副総裁にもハイセル事業への応援を依頼。

 

二階堂氏は「ブラジル経済の先行き不安」と「原子力推進が国是」を理由にその申し出を断り、「難しい話だから止めた方がいい」と助言しますが…二階堂氏曰く「猪木クンは世界の燃料危機と食糧危機を自分が救うと信じきっていた」。

 

当時の猪木は一般誌からの取材に対し「アントンハイセルは世界的なエネルギー問題、食糧難が一気に解消できる」「原子力を進める人には解ってもらえないかもしれないが、これは人類のロマンなんだ」と答えています。

 


 

◆泥沼のハイセル事業

 

しかし、猪木の願いと裏腹に、そのハイセル事業は一向にうまくいきません。いくら資金を注入しても肝心の発酵技術が開発できず、実験は失敗の連続。

 

そんな状況でも、猪木と新間氏は尚も資金集めに狂奔。 当時不安定だったブラジル経済が破綻しインフレになり当初計画の何十倍もの資金が必要とされ、猪木自身も私財をテレ朝や新日プロに売却し、ハイセル事業に注ぎ込んだ総額は37億円ともいわれます。

 

そもそもこの研究者を紹介した人物が詐欺師であった可能性が高く、仮に牛の糞を発酵させ飼料化が成功したとしてもブラジルでは肉牛は勝手に雑草を食べさせて育てるスタイルのため、金を払って飼料を購入する酪農家などいない、との指摘もあります。

 

さらには現地法人を担当していた猪木の実兄、快守氏が運営資金を横領(疑惑)、日本から送金される猪木や新間氏の巨額資金を浪費し続けていた、とまでウワサされます。

 

一方で、猪木自身が情熱を失いつつあった本業のプロレスは大人気、年間20億円の売上を叩き出しています。

 

この資金を投入してハイセル事業が軌道に乗らなければ引退もできない、しかし資金注入しても増えるのは負債ばかり、会場に押し寄せる資金回収の暴力団、というドロ沼の状況。

 


 

◆IWGP開幕、6.2蔵前・猪木舌出し失神事件!

 

83年5月、ようやく開催に漕ぎ着けたIWGPは、当初の構想から大幅にスケールダウンし国内サーキットのみ。NWAはおろかAWA、WWFのチャンピオンも招聘できず、ハンセンとシンも失い、参戦確実とみられていたローラン・ボックもローデスもブッチャーも参加せず、前年のMSGリーグ戦という通常シリーズよりも地味な参加メンバーとなります。

それでもなんとかアンドレ、ホーガン参戦で体面を保ちますが、もはや猪木優勝のためのシリーズ、とアンチ猪木派の全日ファンに笑われる始末。それでも国内全興行満員札止めの超人気を博し、私を含む当時の全国の猪木信者は「初回は妨害があってこうなってしまったけど、本当のIWGPは猪木優勝から始まるのだ!」と期待をつないでいました。

 

そして6月2日。蔵前国技館で行われた優勝決定戦に駒を進めたのはアントニオ猪木と、アンドレ…ではなく、まだ若手で頭角を現し始めたハルク・ホーガンでした。

 

これはもう、猪木優勝で間違いなし、と新間氏は試合後の祝勝会まで手配して臨みますが、猪木はホーガンのアックスボンバーで場外失神KO負けする、というまさかの結末。日本中が衝撃に包まれます(大袈裟ではなくライバル側の日テレのニュース報道や普段プロレスを扱わない一般新聞の一面に「猪木さん試合中に負傷、入院」と載った程です)。

これには対戦相手のホーガンはもちろん、側近である新間氏、坂口以下全選手、社員も衝撃を受けます。

 

後に、この猪木KO負けは本当にアクシデントだったハイセル事業がうまくいかずヤケクソになって借金取りから逃れるためだった、猪木優勝の予定調和をブチ壊したいアドリブだ、優勝より一般マスコミに取り上げられた方がプロレス人気につながるとの判断だ、などなど、これまたさまざまな見方がされています(坂口はその後「人間不信」と書き置きを残してしばらく会社に出社しなかったという逸話まで残っています)。

そして、その欠場の最中、クーデター計画が進行し、決行される事になったのです。

 


 

ちなみに…このアントンハイセルは「アントンバイオテック」と名前を変え、アガリスク培養に切り替えてなんとか持ち直し、少なくとも2010年くらいまではブラジル サンパウロに存在、日本の農水省のページにも紹介があったとか(現在はリンク消滅)。

・社長(猪木の実弟)猪木啓介氏の論文

▼猪木啓介氏が語るハイセル事業失敗の要因

「サトウキビからアルコールを搾り出した後の搾りかす、バガスの廃棄処理ができなかったこと。牛の餌にしようとしたところ発酵、乾燥に失敗して牛が食べず、土に埋めた結果、土質を悪化させる公害となってしまった」

 


 

以上が、新日プロクーデター事件のあらましとなります。

 

よく巷では「猪木KO負けがクーデターにつながったのだ」とする説がありますが、それは誤りです。最大の理由はやはりアントンハイセル事業への資金流出と、それにより一大プロレスブームにも関わらず選手、社員の給与が上がらなかったこと。そこに、各人の思惑やジェラシーや遺恨が複雑に絡み合い、暴発した、というのが正しい見方だと思います。もちろん、猪木の選手としての衰え、猪木さんなしでもやっていける!という目算と、「そろそろ猪木(&馬場)なしのプロレス界を」という流れがあったこともご紹介した通りです。

 

この事件のキーマン、新日プロの営業部長である大塚直樹氏は、後に長州力率いるリキプロダクションと合体し、馬場全日プロに合流。なんとかクーデターを制圧した猪木新日プロは、翌年以降、「選手の大量離脱」と全日&ジャパンプロ連合との熾烈な興行戦争へと突き進みます。

 

そちらはまた、別項で紹介していきます!お楽しみに。

コメント

  1. さねもく より:

    詳細な記事で当時の状況がよく分かりました。猪木さんというプロレスラーの考えることもすることも常人の理解を遥かに超えてますね。とても人間的ドラマで、とても面白く、何度も読みました。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!猪木さんの常人離れした行動はこの件だけでなく「太平洋上猪木略奪事件」「日本プロレス猪木追放事件」など、枚挙にいとまがありませんのでぜひご一読を。これを「裏切りの歴史」と取るか、「男のロマン」ととるかですね。戦国絵巻、猪木武将だと考えれば正しいも間違いもないのですけどね(笑)。

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