「1984年の荻野目洋子」〜80年代アイドル③ 一緒にボーリングの思い出と初期楽曲紹介

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荻野目洋子さん。

三児の子育てをひと段落して復帰して以来、最近は「JKバブルダンス」との競演で話題になり、TVでもよく見かけますが、唄声も含め、変わらないですね。

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今回は、彼女との個人的思い出も含め、デビューから80年代の活躍、特にユーロビート路線前の初期について、ご紹介します。

※文中敬称略

 


 

◆1984年デビュー

 

同期デビューは岡田有希子、菊池桃子、吉川晃司、長山洋子、田中久美、渡辺桂子、宇沙美ゆかりなどなど。

このうち菊池桃子は「賞レース」を辞退していまして、この年の新人賞レース争は事実上、「ナペプロの最終兵器」吉川晃司の一人勝ちで、レコ大最優秀だけ岡田有希子がサンミュージックの政治力でゴリ推し受賞(いまなら炎上したことでしょう)。荻野目ちゃんらは空気でした。


 

◆ダンシングヒーローで大ブレイク

 

ところが、新人賞レースでは空気のような存在だった彼女が、2年目に「ダンシングヒーロー」で大ブレイクします。

一発屋で終わるかと思いきや、その後もヒットを立て続けに連発、筑紫会館→福岡市民会館→福岡国際センターと福岡市民には実にわかりやすいステップアップで大スターになっていくのにはビックリしました。

 


 

◆ボーリングの思い出

 

そしてこの時期、年末に行われる「KBCチャリティ ミュージックソン」というチャリティイベントで、「アイドルたちと一緒にボーリング」、という企画があり、荻野目ちゃん一点狙いの友人が当選して一緒に行きました。(その他のアイドルは森口博子さんだけ覚えています。1985年です。)

 

会場は博多スターレーン。全員がアイドルとボーリングできるワケではなく、ハズレた人たちは自分たちでボーリングするだけ、特にクジを引いたりする事もなく、アイドルが来るか来ないかは運営任せ、という謎のシステムでした。

 

そしてなんと、我々のレーンに荻野目洋子さんがやって来たのです。

 

最初だけマネージャーさんらしき男性に連れ添われ、あとは男だらけの我がチームに、いきなりポツンとアイドルが放り込まれるという事態。特に運営側が紹介してくれるワケでもなく、何の説明もなかったと思います。

 

あまりの事態に我々は大興奮…というよりあっけにとられましたね。

 

そして、一緒に2ゲームほど、ボーリングを楽しみました。

 

交わした会話で記憶にあるのは…荻野目ちゃんがボールの取り出し口についている送風機を不思議そうに眺めていたので「ボーリング初めて?」と聞いたら「うん。なにこの風。これに手をつけると、滑るの?」と訊かれたくらい…なんと答えたのかも記憶にありません(笑)。

 

間近で接した彼女は気取るどころかポワーンとした、不思議な感じはするけれど、ごくごく普通な女の子、でした。TVで見るよりずっと小柄で、大人しい女の子でした。

 

こんな子がステージで唄ったり踊ったりしてるんだよなぁ、と不思議な気がしましたね。

 

そんなワケで、実は思い入れのあるアイドルなのです。

 


 

◆ブレイク前の初期楽曲紹介

 

私のクルマには長い事、実家でアニキからパクってきた「荻野目洋子ベスト NON-STOPPER 」が積んでありました。
(なんとこのアルバム、オリコン年間チャート1位(87年)なんですね…知らなかった…)

ユーロビート調でブレイクした後の楽曲もいま聴いても佳曲揃いですが、ブレイク前の楽曲もなかなか良いんですよ。

今回は敢えて、ブレイク前の、初期楽曲を紹介します。

 


◆未来航海 〜Sailing〜

 

デビュー曲。いま聴くと音程が不安定ですが、当時はほかのアイドルに比べてとてもうまく聴こえました。幼少期からボイストレーニングに通っていたそうで、特に高音の伸びが素晴らしい。

youtubeは夜ヒット初登場時。芳村真里さんのコメント通り、この頃はまだ「あの荻野目慶子の妹」であり、「アニメみゆきの声優のコ」扱いです。

 

◆さよならから始まる物語

いわゆる賞レースでよく唄ってました。デビュー曲と同路線でミディアムテンポですが、なんともスケールの大きなドラマチックな曲ですね。こういう歌謡曲は絶滅してしまいましたね。15歳ですよ。

 

◆ディセンバーメモリー

3曲目にありがちな空気曲・・・。井上大輔さん(哀戦士)作曲+三浦徳子さん(モニカ)作詞コンビで実にいい唄ですが。

 

◆無国籍ロマンス

なんと世界の坂本龍一教授作曲。イントロのブラスアレンジが印象的でやや大人っぽいイメージ、これもよい楽曲ですね。

 

◆恋してカリビアン

なんともトロピカルです。キャッチーなメロディラインで、ビオレのCMソングでした。

 

◆心のままに〜I’m just a lady〜

いい曲ですが、私はこの手の俗にいう「いい唄楽曲」は敢えて評価しない主義のためビデオリンクなしの処置。

 


 

そしてこの後…

◆ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)

でまさかのユーロビート女王になり、その後も

◆フラミンゴ in パラダイス

◆Dance Beatは夜明けまで

◆六本木純情派

◆湾岸太陽族

と立て続けにヒットチューンを連発なのは、よい子の皆さんもご存知の通り。

 

よりによってこんな素朴な純情田舎ムスメ(褒め言葉です)に、なんでハード路線なユーロビートなのか、まったくもって意味不明だったのですが、唄のうまさとリズム感の良さが活きてズバリ、ハマりましたし、実際、ものすごく売れました。

 

そして、この荻野目ちゃんのユーロビート洋楽ヒットに触発された長山洋子さんが「ビーナス」をカバーして、2匹目のドジョウにも関わらずスマッシュヒット…というオマケ付きでした。

 


 

◆おまけ 84年デビュー同期追加

 

倉沢淳美

「わらべ」の某メンバーが“ハンパしちゃって解雇”危機の中、満を持してデビューした「欽どこファミリーの最終兵器」

デビュー曲の「プロフィール」はセリフから悶絶自己紹介モノでNHKでは唄えませんでした。正統派清純派で隠れファンが多かったのですが、何故かブレイクしませんでしたね。

少女隊

「テレビに出ない」という謎の巨額プロモーションが完全に裏目に出た「ボンドの最終兵器」「一心同体少女隊」。

日本よりアジア圏で売れたり、どことなく醸し出されるB級、エロ感がたまらない味で、メジャーになりきれないところが、マニア層に支持されました。ショートカットメガネキャラのチーコがヘルニアで途中離脱、追加メンバーは急逝した「昭和の脱出王」引田天功の娘。

 

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